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アートディレクター  端 聡さん

2014年「札幌国際芸術祭」を前にまちの魅力を再発見

「札幌で国際芸術祭を開こう」。長年訴え続けてきた夢の実現までもう一歩。
2010年、「将来における国際芸術祭を見据えての民間運動」である
札幌ビエンナーレ・プレ企画実行委員会に芸術監督として就任。
市民にも関心を持ってもらおうと市内各所でプレ企画展を続け、
現在札幌市が検討を進める2014年の本開催まで足場固めに忙しい。

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  • 「CAI02 1」

  • 「CAI02 2」

  • 「作品」

  • 「対談の様子」

  • 「端 聡さん 1」

  • 「端 聡さん 2」

  • 「端 聡さん 3」


 


ドイツの「ドクメンタ」で国際芸術祭の洗礼

「札幌で国際芸術祭を、という道内アート関係者の声は皆さんが思う以上に早くからあったんです」。
取材は端聡さんがオーナーを務めるギャラリー「CAI02」で行われた。今最も力を注ぐ国際芸術祭の開催準備に「いつからどのように関わってきたのか」尋ねると、冒頭の言葉が返ってきた。

「さかのぼれば1970年代から志を同じくする諸先輩が大勢いらっしゃって、その後ろ姿を見続けてきましたが、僕自身が行政を含む各方面に本格的な説得を始めるようになったのは5、6年前から」。
2006年から始まる「創造都市さっぽろ」構想の推進会議委員会のメンバーとなり、国際芸術祭開催の必要性を訴えてきた。

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北海道を代表する現代芸術家。近年はバレエ・舞台の芸術監督も務める。2004年度札幌文化奨励賞を受賞


自身の原体験は1995年。ドイツ政府管轄ドイツ学術交流会(DAAD)の助成を受けて約1年間、ブレーメン近郊のアート村、ヴォルプスヴェーデに滞在した。
その間個展やオープンアトリエを行うかたわら、古都カッセルで行われる世界的なアート展「ドクメンタ」を体感。ベルリン・ビエンナーレやヴェネツィア・ビエンナーレにも足を運び、活気あふれる国際芸術祭の洗礼を受けた。

「街中がアート一色に染まり、世界の一線級の作家と地元アーチストが同じ土俵に並ぶ。出品者も観光客も地元の人も、子どもから大人まで皆が芸術祭を楽しんでいる。アートが楽しみのためにあることを実感できる空間でした」

ドクメンタの会場となったまちカッセルは人口約20万。「実現に都市の大小は関係ない。ましてや北海道の首都である札幌で開催不可能な理由が見つからない」。この感動をいつか必ず札幌でー。当時端さんは35歳、大きな目標と出会った。



受動態の歴史から新たな1ページ、発信者へ

聞き手のICC久保とは帰国後に知り合い、10年以上のつきあいになる。久保自身も札幌国際短編映画祭の開催に奔走した経験から「大変じゃないですか?」と端さんを気遣った。

「久保さんの言ってること、わかります(笑)。確かに札幌は、というよりも北海道は近代以降、外部の方法論で発展を遂げてきた歴史がある。今も流行をキャッチする<受動態>としての能力が極めて高い土地柄です」。
けれどもその分、発信力の弱さや能動態になることへの苦手意識は否めない。「札幌ではムリ」という潜在意識がさまざまな挑戦を遅らせてきたのかもしれない、と二人は語る。

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「札幌ビエンナーレに短編映画祭、PMFとすべてが横につながったとき、札幌は相当すごいことが起きる」と久保。CAIの講師も務める


その札幌で追い風が吹いた一番の要因は「やはり上田市政のアートやクリエイティブへの理解」と端さんは語る。構想が行政のテーブルに載ったことで「札幌国際芸術祭」の開催が公文書にも記録された。

だが、肝心なのは中身だ。国際都市としてどのような札幌色を打ち出すのか。民間の支援団体「札幌ビエンナーレ検討委員会」を作り、札幌独自の文脈作りに議論を重ねた端さんたちは次の結論に辿り着いたという(ビエンナーレとは2年に一度開催される芸術祭のこと)。



雪の弊害から「地下まちアート」が誕生

「まず環境から考えると、札幌は人口190万の大都市でありながら市街から車を30分も走らせると原生林が残る自然都市。都市空間と自然環境の共存は大きな強みです」。
また年間降雪量が6mを超える積雪寒冷地で都市機能を維持している点は世界にも類のない個性である、と言葉を重ねた。
その雪ゆえに地下のインフラが整備され、昨年は3月に地下歩行空間が開通。毎年11月、地下鉄大通駅とバスセンター前駅を結ぶコンコースを会場とした「さっぽろアートステージ」の限定企画「500m美術館」も、11月から常設ギャラリーに進化した。
こうした地下から発信する「地下まちアート」は、「雪というネガティブな要素を見事に昇華させた札幌国際芸術祭の武器となる」と力説する。

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2011年11月から常設ギャラリーとなった「500m美術館」


他にも初音ミクに代表されるメディアアートやアイヌ文化という独自の文脈に、北海道が誇る食の魅力が加われば「アートツーリズム」も成立する。来場者の移動、宿泊、飲食を考えると、単なる入場観覧料にとどまらない経済波及効果を生み出していく。
現在、端さんは札幌ビエンナーレ・プレ企画実行委員会の芸術監督として次々とプレ企画を準備中だ。「アート関係者だけでなく市民の皆さんにも楽しみにしてもらえるような盛り上がりを作っていきます」



初めての東京二泊三日でアート界デビュー

1996年に「VOCA/Vision Of Contemporary Art」(東京・上野の森美術館)で奨励賞、ブタペスト国際彫刻絵画ビエンナーレ(ハンガリー)で美術教育文化財団賞を受賞。札幌市主催のモエレ沼公園オープンセレモニー「GRAND」の芸術監督を務め、海外バレエ団との仕事も多数。
多彩な活躍で北海道の現代アートシーンをけん引する端さんだが、その才能が認められたのは実は東京から。“逆輸入”の意味でも先駆者だった。

札幌育ちで実家は看板屋。小学生の頃から下絵を手伝わされ、本人も「将来は絵描きになる」と作文に綴った。学校とは相性が合わず美術専門学校を中退。10代の終わりから敬愛していた三岸好太郎美術館に足しげく通った。自分の作品に満足せず、塗り重ねては削りまた塗っては削る…を繰り返す作家の執念に引き寄せられた。

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CAI2で見つけた本人の作品。徹底した写実の時代から心象、一切の装飾を排したミニマルアートと模索を重ねた

 

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「銀座のレンタルギャラリーでやれたらいい程度に考えていた」という当初のもくろみから事態は一変した


アート界に自分が何者かを証明するため東京で個展を開くー。意を決して上京した23歳の春、当時の「美術手帖」に名を連ねるようなトップクリエーターや銀座の有名ギャラリーなど「会いたい人、行きたい場所」をアポなしで訪ね歩いた。

その度胸と才気あふれる作品が強運を引き寄せたのだろう、幾人かの紹介を通じて日本におけるオルタナティヴスペースの草分けである佐賀町エキジビット・スペースのオーナー小池一子にたどり着いた。
目利きの小池から「個展はうちでやりましょう」と声をかけられ、駆け出しの現代美術家・端聡はまったく思いも寄らない形で東京デビューを飾った。運命を決めた二泊三日の大旅行だった。



国際芸術祭の準備を通じて札幌を再評価

初個展の後そのまま東京移住も考えたが、不思議なことに住まいの不動産契約がことごとくダメになる。「札幌にいろ」ということかと腹におさめた。その後の北海道での活躍は皆さんが知るところだ。

作品制作の一方で、北海道には現代美術を発表する場がない。ならば自分たちで作ろう、とギャラリー経営やアートスクールも始めた。昔は自分のことばかり考えていたが、今では才能ある若手が「かわいくて仕方がない」教育者の一面も持つ。  

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取材場所のCAI02は2008年5月にオープン、新人の発掘・育成を目指す。ギャラリースペースは2つ、カフェもある。営業時間13〜23時


「札幌国際芸術祭のことを真剣に考えていくと、このまちの魅力があらためてわかってきた。ここでやることの素晴らしさがつかめてきました」。
札幌開催はもう夢ではなくすべての先に広がる未来だ。2014年まで突き進む。





〈札幌創造仕掛人に聞きたい! クエスチョン〉

Q. 人生で迷ったとき、立ち返る言葉はありますか?
A. 自分はまったくロジカルな人間ではないので、頭に浮かぶのはフランス語の「ケ・セラ・セラ」。“なるようになるさ”。困ったことがあればそればかり出てきます。きっとこれからもなんとかなるんじゃないかなぁ。




●CAI現代芸術研究所  http://www.cai-net.jp/
札幌市中央区北1条西28丁目2-5
TEL.011-643-2404
●CAI02
札幌市中央区大通西5丁目昭和ビルB2
TEL.011-802-6438


取材・文 佐藤優子(耳にバナナが) 
撮影 ハレバレシャシン