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イラストレーター 佐藤 久美子さん

【北海道新聞掲載記事】
名刺には「絵描き」。2010年はプロ6年目に突入する。
プロデビューは個展が目にとまって、というよくある話だが、
そこに至るまでの彼女はまるでサボテンの花のよう。
開花するまでにかたくなな沈黙の日々があり、
だがその間、周囲から惜しみない愛情が注がれていた。
そして今、佐藤久美子を指名する客が増え始めている。

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「先生が描き換える」絵画教室は続かず

自宅兼アトリエは札幌から車で1時間の当別町にあった。生まれも育ちも当別町で絵を描くのが大好きな一人っ子に生まれる。車で移動中にも紙をねだり、レシートの裏に喜んで絵を描き続ける少女だった。「親も“この子は絵の道に進む”と思っていたみたいです」。

中学の時、絵画教室に通ったこともあったがすぐにやめた。理由は「先生が絵を描き換えちゃうから」。久美子さんの父親はその昔、絵描きを目指したこともある絵心の持ち主。なによりも娘の才能を信じ続ける人だった。「こういう絵を持って帰ってくるのならやめてもいい」。その一言で再び自分の好きに描く日々が続いた。

大谷高校の美術科では強烈な自我を持つ同級生たちに圧倒された。自信が持てずに作品よりもデッサンばかり描き続けた。卒業間近にようやく描いた水彩画は、なんとトイレで用を足している自分自身を描いた。みんなが使っているのになぜか話題にのぼらない場所が気になった。

そんなユニークな視点が良かったのか、この作品が公募コンテストで特選を受賞。もっと描いてみようかと心に小さな蕾が膨らんだ。

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筆をとる対象は紙だけにあらず。貰い物のノコギリ(写真上)や家族が拾ってきたどぶろくの瓶(写真下)にもペインティング。



作品持込みも禁止、肩書きのない3年間

大谷短大美術科からその先の専攻科に進学した大学4年目の9月、大学に退学届けを出した。

「私の絵に対して先生からはあまり指導がなくて、家で描いている時の家族からの批評のほうが的確だった。なら思いきってやめようかと。今振り返ると、先生も私に安易な就職活動は進めず、“おまえは絵でやれるから”と見守ってくださっていたことに感謝しています」

そして中退した久美子さんに、ここでも父が口を開いた。「5年間、時間をやる」。食事と寝る場所と画材の心配はいらない。その代わり、ひたむきに“描き続けること”を条件に居候の身が許された。

この間アルバイトは禁止。作品ファイルを出版社に持ち込む営業活動も禁じられた。未熟な腕で描いた作品を見せ歩いても本人のためにならないという親心だった。

こうして肩書きがなくなった21歳の久美子さんに約束どおり描くだけの毎日が始まった。朝起きたら机に向かう。描く気が起きなくても机から離れない。「精神的にキツかったですが、描かない日はありませんでした」。

やがて描き続けていくうちに当時自分でも気にしていた作品のムラがなくなり、2004年には初めての個展を開催。翌年の個展で幸運にも出版社の人間の目にとまった。そこで決まった初仕事が、小樽出身の作家・蜂谷涼の時代小説『てけれっつのぱ』(柏艪舎)の装丁。大学中退から3年が経っていた。

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家でひたすら描き続け、近所からは「嫁に行ったと思われていた」時代の作品「The Attic」(2006年)。


 
人の縁がつないだ食いしん坊の勝利

小説『てけれっつのぱ』の出版後、作家にも直接会い、好意的なコメントをもらったはずが緊張のあまり記憶はおぼろげ。覚えているのは柏艪舎に原画を提出する日に机の上の全ての画材を持参したこと。「応接室に全部広げて、“直せと言われたところはこの場で直します”と。でも結局大きな直しはなかった。とにかく無我夢中の初仕事でした」。

「5年やる」つもりが3年目に開花の兆しを見せ始めた久美子さんを、父は「ほらな」と得意げに笑った。

それから4年、自分でも驚くほど“
人の縁が仕事を呼んだ。飲んだ席での意気投合から話がつながり、創作和食料理「たまゆら」のホームページの絵を描いている。オーナーは複数のイラストレーターの中から久美子さんの絵を見て「この子は絶対食いしん坊だ」と言い、彼女に決めたという。(実際それは大当たりなのだそう)。

「たまゆらさんからは“小手先で上手く描く絵描きさんにはならないでね”と言われています。厨房の方々が真剣に作った料理を私に託してくださるのですから一瞬たりとも気が抜けない。慣れることがない大事な仕事です」。

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 「たまゆらのオーナーに“胃液で描いてるでしょう”って言われました(笑)。最高の褒め言葉です」。画像はたまゆらの仕事より。

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こちらも「食いしん坊」ぶりが伝わってくる作品「lunch time」(2009年)



無数の色と緻密なディテールが渾然一体

札幌市民にもおなじみの仕事と言えば、札幌地下街オーロラタウン「小鳥のひろば」のロゴマークを担当した。2008年からは個展を見た関係者から声がかかり、道新文化センター主催の絵画クラス「自由に描く!色彩豊かな元気アート」の講師も務める。競馬雑誌「うまレター」の仕事も始まった。

好きな色は赤だが「ついどの色も使いたくなってしまう」色数の多さと、隙間無く緻密に描き込んでいくディテールが渾然一体となった作風が、どんな題材も佐藤久美子の世界に落とし込んでいく。

「売り込み経験がない自分にとっていつも個展が次のきっかけを与えてくれました。目の前で喜ばれ、必要とされる実感が描く意欲につながります」。

この仕事でやっていく、ここ数年でようやくプロの自覚が芽生えてきた。
「これからはICCのイベントにも積極的に参加していろんなクリエイターと会いたいし、いつか海外にも作品を持って行きたい」。
ふつふつとわき上がる気力を筆にのせ、ひたむきに描き続ける。

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写真上は10年以上愛用の机。好きな画家を尋ねると、花や牛骨の作品で知られるアメリカの画家ジョージア・オキーフを挙げた。

 

BGM:渡辺崇(Junkan Production)

 

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■佐藤久美子
Website http://sichihuku.net/
Creator Profile http://s-xing.jp/db/ind/prof0135.html

取材・文 佐藤優子 
blog「耳にバナナが」 http://mimibana.exblog.jp/