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児玉潤二郎さん(キャラクターデザイナー & 映像作家) 

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キャラクターデザイナー&映像作家の児玉潤二郎さんは現在33歳。
「人当たりが良くて、すぐにでも友人になれそう」
彼と初対面の人は、多くがそう感じることだろう。
札幌には数少ないオリジナルキャラクターのデザイナーとして活動する一方、昨年から短編映画の製作も手がけ、初監督作品が映画祭でアワードを受賞する快挙を成し遂げた。
そんな児玉さんの素顔に迫った。

― あふれ出る好奇心を極限まで追求


児玉潤二郎さん(33) 明るい人柄は、多くの人を惹き付ける。

「クリエイターになるまでのプロフィールがとても長いんです」と笑う児玉さん。札幌の高校を卒業後は旅行関係の専門学校に入学し、卒業後は添乗業務を専門に行う会社に就職。約1年半、添乗員として働いた。
「添乗で色々な土地に行きましたが、仕事なのでいつもあわただしく、いつか”自分の旅”をしたいと思っていました。とくに南の島に対しては強い憧れがありました」との言葉どおり、最後の添乗を終えた3日後、児玉さんは久米島にいた。
「久米島ではカルチャーショックの連続でした。日本の広さを再認識しましたね。こうなったら日本全国をこの目で見たいという好奇心を抑えられなくなって、全国一周の旅に出ることに決めたのです」。
自動車工場の臨時工をしながら資金を稼ぎ、友人とともに半年かけて全国を周った。
次から次へとあふれ出てくる好奇心を追求し続けた児玉さん。日本一周の旅から戻った後は、故郷の札幌でWeb制作を手がける会社に就職。クリエイターとしての道を歩み始めた。

― Web制作会社でクリエイターとしての第一歩を踏み出す

「兄が美大に通っていて、私自身もクリエイティブな分野には興味がありました。アニメーションやキャラクターを作ってみたいと思い始めたのもこの頃です。就職した会社では、Web制作の企画営業やアートディレクションなどを幅広く担当しました」。
やがてこの会社で働いていたメンバー数人とともに独立し、フリーランスのクリエイター集団「Puff5」を設立。現在、公私ともに児玉さんのパートナーであるキャラクターデザイナーの玉手みどりさんもこの時メンバーに加わった。
Puff5は、グラフィックデザイン、Web制作、プログラム制作など、各ジャンルを得意とするメンバーの集まりで、2000年から活動を開始。翌2001年には、この年4月にオープンしたICCに第一期生として入居し、「有限会社パフ」として新たなスタートを切った。
「いま思えば、会社を作るということの意味もよくわからずにやっていたという感じでした。パフの中での方向性の違いが明確になってきたのもこの時期でした」。
この年の秋、パフから独立し、玉手さんと二人でキャラクターデザインのユニットTamasを結成、翌年にはTamasとしてICCに入居した。

― ICCへの入居が大きな転機に


オリジナリティに富んだキャラクター制作が児玉さんの強みだ。

ICCでは、活動的な仲間、的確なアドバイスをくれるコーディネーター、国内外で活躍する一流のクリエイターやビジネスマンとの出会いがあり、毎日が刺激的だったという。
中でも、児玉さんにとって大きかったのは、自身のビジネスモデルの転換だった。
「前の会社で営業を担当していたこともあって、どうしても受注型の考え方になってしまっていました。しかし、いくら受注を増やしても、本当にやりたいこと、つまり、オリジナルのキャラクターやアニメーションを作り、売っていくことはできないと指摘され、自社コンテンツを作り続けることの重要性をICCで叩き込まれました」。
こうして、児玉さんは、受注型の仕事とのバランスを考えながら、自社コンテンツの製作を精力的にこなしていく。
この時期に作った「Beauty & Bird」というアニメーションは、「Shockwave.com」のアワードでアニメ部門の2位になるなど、少しずつ実績を積み重ねていった。
さらに、当時ICCで開催された「tomatoワークショップ」に参加したことで、クリエイティブ・ワークに対する視野が大きく広がったことも大きな収穫だった。
「ICCでの3年間は、クリエイターとして生きていくうえでの基礎を築いた大事な時期でした」。

― 幸運な出会いとチャンスの拡大

3年間の入居期間を終え、2005年にICCを卒業した児玉さんには、さらに大きなチャンスが舞い込んだ。
サンタクロースの住む街・フィンランドのロバニエミに滞在し、創作活動を行う機会に恵まれたのだ。
「ロバニエミが主催するクリエイティブ・ラップランドプロジェクトという事業で、ラップランドにまつわる題材をもとに、産業化につながる何かを創作せよというミッションが与えられました。世界から色々なジャンルのクリエイターが招聘されていて、ここに3ヵ月滞在して、民話をもとにしたキャラクターを製作しました」。


フィンランドには3ヵ月間滞在し、プロジェクトに取り組んだ

滞在期間を終えた後は、フィンランドへの出発前にICCの「クリエイティブ・ワークショップ」に講師で来ていたイタリアのFABRICAベネトンのコミュニケーション・リサーチ・センター)のアンディ・キャメロン氏の招きでFABRICAに2週間滞在することを許され、同氏から与えられた課題の制作に取り組んだ。
「インタラクティブな手法を使って、この場所のパーソナリティを表現せよ”という楽しい課題でした。仲間とのディスカッションの中で自分のアイディアが“FABRICAに通じた”という実感がありました。FABRICAでモノを作る気持ちが旺盛になり、評価してもらったという実感もあって、自信を深めて帰国しました」。

 
FABRICAはクリエイティビティが高まる素晴らしい環境だった。

しかし、帰国してみると、そこは現実の世界。FABRICAやフィンランドとは、創作環境や作品を受け入れる環境も全く異なる札幌では、せっかく芽生えた旺盛な創作意欲を殺がれ、思い悩むことも多かったという。
「そんな中、励ましてくれて相談に乗ってくれたのは、ICC時代の仲間たちでした。彼らから勇気をもらい、やはり自分のコンテンツを作りたいという気持ちを取り戻していきました」。
そして、そのチャンスもまた、持ち前の好奇心がもたらしてくれたものだった。

― 思いがけず映画監督に

時々チェックしていたWebサイトで、あるコンテストの情報が目に留まった。
優勝賞金100万円というショートフィルム作品の公募で、作品のお題は「あなたから見た日本」。
海外から帰国し、成田空港でいたるところに“注意書き”があるのを見て、日本に帰ってきたことを実感したという自身の経験を思い出し、これを題材に、締め切り当日になって一気に企画を書き上げ、思い切って応募してみた。
「書類審査をパスしたという通知が来た時は本当に驚きました。企画が通ったので、実際に撮影しなければならないわけですが、実写など全くやったことがないので、かなり焦りました。友人の映画監督や仲間の助けがなければ、仕上げることはできなかったと思います。脚本は何度もダメ出しをされ、決定稿までに1週間を要しました。撮影も2日かかってしまいましたが、アニメと違って取り直しがきかない緊張感や、イメージしたものが撮れる喜びがあって楽しかったです」。
注意書き(Instruction)」は、そのコンテンストでグランプリを受賞し、作品は東京とロンドンで上映された。さらに、先の第3回札幌国際短編映画祭では最優秀道内作品賞を受賞し、副賞としてオーストラリア・クイーンズランド州の映像産業振興センター(QPIX)での研修と作品製作の権利が授与された。
「何から何まで意外なことの連続です。舞台挨拶する立場になるなんて夢にも思っていませんでしたし、ましてや映画監督といわれてもピンときません」。
ただ、授賞式の檀上から、自分を支えてくれた先輩や仲間たちがとても喜んでいる表情をみた時、この受賞を「心から嬉しいと思った」という。

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あくなき好奇心は、児玉さんを映画監督へと導いた。

― 映像作家として新たなスタート

児玉さんは映画製作を経験したことで、自らを「キャラクターデザイナー&映像作家」と名乗ることを決意した。
「いままで、自分が何者なのか、何と名乗るべきかを決めかねていたのですが、映画の製作、そして受賞をきっかけに、自分がやりたいことが明確になったと思います。エンタテイメント的なコンテンツを作り続けたいと思っています」。
児玉さん自身の環境にも大きな変化があった。
仲間3人とともに、コンテンツの製作と流通を手がける新会社「株式会社スノウバグズ」を立ち上げ、自らも役員となり、Tamasは同社の所属クリエイターとなった。
「コンテンツを売ってくれる組織ができたことで、企画や制作に専念できる環境が整いました。私自身は、エンタテイメント性の強いコンテンツを作り続けたいと思っています」。
持ち前の好奇心と人当たりのよさで、これまでに数々のチャンスを作り、生かしてきた児玉さん。これからどんなチャンスが生まれ、ものにしていくのか、次回作とともに注目したい。


この春には、仲間たちと(株)スノウバグズを設立。
自らも役員兼契約クリエイターとして活躍中。



●キャラクターデザイナー & 映像作家 児玉潤二郎
WEB SITE
http://tamas.tv/ (Tamas)
http://snowbugs.jp/(スノウバグズ)

取材・文 佐藤栄一