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映像プロデューサー  深津修一さん

巨大ドームで映像空間を演出する革新者、
非劇場系の映画公開で新たな方程式に挑戦。

2011年札幌の夏を、深津修一さん(56)が手がけた2つの仕事が盛り上げている。
一つ目は「サッポロ・シティ・ジャズ」のメイン会場である
「ホワイトロック」こと映像投射式ドームで、
もう一つは好評上映中の映画『エクレール・お菓子放浪記』。
映画は東日本大震災前の宮城県で撮影され、終盤には砂川も登場する。

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震災後、全国44都道府県で上映スタート

映像空間の演出や映画上映会を行う株式会社プリズムの代表取締役・深津修一さんがエグゼクティブ・プロデューサーを務めた映画『エクレール・お菓子放浪記』は、小説家西村滋の自伝的作品の映像化。
戦中戦後の激動期をたくましく生き抜く少年の物語で、「甘くて食べると心があたたかくなる」お菓子への憧れが、生きる希望と重なっていく。

監督は前作『ふみ子の海』で第24回山路ふみ子福祉賞を受賞した近藤明男。主人公のアキオ少年には舞台で活躍する吉井一肇(はじめ)が配役され、いしだあゆみ、林隆三らのベテラン勢が脇を固める。

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映画『エクレール・お菓子放浪記』 http://www.eclair-okashi.com/
札幌での上映は
ディノスシネマズ札幌劇場で8月19日まで。


映画のメインロケ地は石巻市や登米市などの宮城県だった。宮城県仙台市に本社を置く映画会社シネマとうほくの鳥居明夫氏がゼネラル・プロデューサーに名乗りを上げ、2010年8月には同映画の製作と上映を支える宮城県民の会が発足。劇中にも570人近くのエキストラが出演した。
そして待望の完成披露試写会が東京で開かれたのが、2011年3月10日のこと。その翌日、東北地方は大震災に襲われた。

「一番完成を楽しみにしてくれていた東北があんなことになってしまって…」と、落胆を隠せない深津さんだが、「全国からご声援をいただき、今ようやく44都道府県での上映が始まったところです。この札幌でも、一人でも多くの方にスクリーンに残る石巻の美しい風景を見てもらいたい」と来場を呼びかけている。


非劇場系公開、マスコミとのタイアップ作戦

実はこの『お菓子放浪記』の興行には、幾つもの画期的な試みが行われていた。一つ目は従来の劇場上映に限らず、ホールなどの“非劇場系”公開を中心とすること。
なぜなら、既存の映画配給システムでは売上の半分が劇場側に渡り、配給会社への手数料など間接経費を払っていくと製作者の手元に残る金額は「微々たるもの」だと深津さんは解説する。

「さらに負担となるのが広告宣伝費。業界では億単位が当たり前といわれる広告宣伝費を製作者側が負担するシステムが足かせになり、ローバジェットの作品は宣伝ができないから知られない、劇場に観客が来ない、次の映画が作れない…という悪循環に陥ってしまう。ですから、今後のためにも作り手が製作費を回収できるような別の方程式を作りたかった。それがこの非劇場系公開なんです」。

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主演の吉井くんはミュージカル出身。本作でも澄んだ歌声を聞かせてくれる。


だが、どんなにいい映画でもやはり宣伝をしなければ我々のもとには届かない。
そこで深津さんたちは第二の作戦に出た。地方の新聞社やマスコミ各社に、“売上の中から広告予算を出す”独自のタイアップ企画を提案したのである。「購読者の拡大を狙う新聞社は地域の人々とつながる機会を増やしたいし、我々は地元メディアの協力を得て草の根的なPRをしたい。メディアと製作者の両者が歩みよる新しい広告宣伝のあり方です」。
結果、公開が決まっている44都道府県の半数近くがこのタイアップ方式をとり、道内でも北海新聞社とSTVが提携した。

こうした視点からも『お菓子放浪記』の上映が今の日本にもたらすものは、計りしれないほど大きい。収益の一部は義援金として寄付される。


アメリカから持ち込んだ映像投射式ドーム

深津さんはこう語る。「映像による産業振興で今一番足りないものはどうやって観客に届けるか、アウトプットの視点です。せっかくのいい作品を“作りっぱなし”にしないためにも、誰かがアートとビジネスを融合させる、面倒なアウトプット役を引き受けなければ」。

そのアウトプット役を自認する深津さんの近年を代表する仕事に、現在開催中の「サッポロ・シティ・ジャズ」で使われている「ホワイトロック」こと映像投射式ドームの導入がある。実はあの巨大ドームは深津さんの会社プリズムが所有する施設だったのだ!

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(左)「サッポロ・シティ・ジャズ」会期中、札幌大通公園2丁目に建つホワイトロック。
(右)400席のゆったりとした空間に飲食店ブースもある。


「あのアメリカ製のイベント用テントを自社で購入しようと思ったのは、どこにもないオリジナルな空間を自分たちで持ちたかったから。当社の専務がアメリカの友人から聞きつけ、現地の会社と連絡をとって交渉を始めようとしていたところに、2007年の年明けですか、前に一度テントのことを紹介していたサッポロ・シティ・ジャズの山内明光さんが僕らが知らないうちにホワイトロックと命名までして記者発表してしまった(笑)。それならもうやるしかない、と一気に動き出したんです」。

それは同時に「大変な日々」の始まりでもあった。まず第一に耐震や火災対策に厳しい日本の建築基準ではアメリカ製テントの品質が認められず、輸入自体に待ったがかけられた。思わぬ規格変更を迫られたところで、今度は「日本のルールが理解できない」とつれないアメリカ側の説得に時間が過ぎていく。

最後は設営する当日に全ての材料が到着、というまさにスリルの連続で迎えた2007年の夏、ついに深津さんたちは国内で初めて映像投射式ドームをイベントで使うという快挙を成し遂げた。
これ以降は「個性的な映像空間を使ってみたい」という本州からの引き合いが続き、プリズムの大きな資産になっている。 

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(左)六本木ヒルズアリーナでアーティストによるインタラクティブ映像を創出。
(右)デジタル・ライティング・シンポジウム「京都の奇跡」で京都造形芸術大学と協賛出展(どちらも2008年)。


ドームがもたらす今後の可能性は「単に映像を楽しむだけでなくその他のエンターテインメントや北海道の食材を使った飲食店などとも融合していけば、北海道発のどこにもない空間ができあがる。1+1が3になるような発展性を探りたい」。
親交のあるICCチーフコーディネーター久保俊哉は「深津さんはアーティストマインドをもったプロデューサー。あのドームで行われるイベント自体が深津さんのインスタレーション作品なのでは」と高く評価する。


転機は大物アーティストのジャパンツアー

出身は愛知県安城市。獣医に憧れて北海道大学を目指すが、成績及ばす農学部の畜産学科に入学した。恵迪寮の仲間と劇団兼映画サークルを作ったのが映像活動の始まりだ。
「北18条に喫茶タマキっていう当時の文化人が集まる根城があったんです。そこで16mmフィルムの自主上映会を開いたりして、気がつけば大学を出ても同じことを仕事にしていた」。

だが、レンタルフィルムをかついで全道どこにもで出張上映の日々も、じきにビデオの時代が到来。「このままでいいのか」、焦りを抱えたまま深津さんは40歳を迎える。
 

fukastu05.jpg「昔、札幌の街中にあった大谷会舘でヴィスコンティ特集とかね、自分の好きな映画を集めては上映してました」


そして運命の1995年がやってきた。「札幌のライブでフィルムの扱いがわかる人間を探している」。そう言われて機材一式を車に積みこみ、当時の月寒グリーンドームへ向かってみれば、ステージ上にいるのは来日したばかりのシンディ・ローパー。それも札幌から始まるジャパンツアー本番当日の出来事だった。

ただ呆然とする深津さんはそこで初めて詳細を聞かされた。
「シンディの希望は自分の胸元に直接フィルム映像を映写すること。ところがオペレーションルームは遠いし、フィルム自体も未編集のまま。だから、これ、これ、と言われた場面をその場でつなげる編集作業から始めて、映写機も持参した機材じゃなく一度会社に戻って別機材を用意しました」。
1部用・2部用と2本のフィルムを完成させたあとは、ステージと観客席の間にもぐりこみ、斜め45度上向きに映写機を傾けて動くシンディの胸元に映し続けた。

終演後この仕事ぶりが「パーフェクトだ」と絶賛された深津さんは、急きょシンディサイドからスタッフ契約を申し込まれ、最終日まで夢のような時間を共有した。
そしてこの経験から映像演出の面白さに目覚め、41歳でプリズムを起業。シンディ・ローパーから始まったキャリアが今にいたるという、映画さながらの人生を歩んできた。


ロケ地の一つは砂川、次回作の舞台も北海道

映画製作の基準はいつも“北海道のためになる作品”を選ぶ。「生まれ育ってはいなくても、気持ちのうえで僕は道産子。北海道を盛り上げることなら率先してお役に立ちたい」。『お菓子放浪記』の終盤は地元菓子店が並ぶ「スイートロード」で知られる砂川で撮影された。
自身がゼネラル・プロデューサーとなる次回作も道北の小さなまちが舞台と決まっているが、今はまず、この大切な『お菓子放浪記』の公開を見守っている。
 

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札幌の夏を飾るホワイトロックの前で。「サッポロ・シティ・ジャズ」は8月23日まで。

久保は深津さんをこう語る。「映像業界にいつも新風を起こす深津さんは“北海道にいてくれて本当にありがとう”と言いたくなる革新者。今年の札幌国際短編映画祭のゲストは深津さんを紹介したい顔ぶればかり。そこから生まれる新しいコラボに期待しています」



〈さっぽろ創造仕掛け人に聞きたい! 3つのクエスチョン〉

Q.深津さんを映像の世界に引き込んだ原点となる映画は?
A.オーソン・ウェールズが監督・製作・脚本・主演をした『市民ケーン』。映画の力でここまで伝えられるのかと衝撃を受け、映画で生きていこうと決めた1本です。

Q.座右の銘は?
A. 『Never Never Never Give Up!』 絶対あきらめずに思い続けていれば必ず実現できると信じています。

Q.プリズムを起こしてすぐ東京支社も開設。もしかしていずれ東京が本社になるのでは?
A. 僕は北海道、特に札幌ラブなのでここから本社機能を離すつもりは毛頭ないんです。ビッグプロジェクトに参加したりすると他の会社は全部東京本社で、うちだけが札幌。周囲もかえってそれを面白がってくれるので、自分たちの大事な個性になっています。




●株式会社プリズム http://www.eizou.com/
本社:札幌市中央区北1条東13丁目1-79 TEL011-252-3838
東京支社:東京都港区港南3丁目5-24 TEL03-5796-0791
旭川営業所:旭川市神楽5条6丁目3-8-108 TEL0166-60-1616
設立:1987年 2月10日
資本金:1,500万円
代表取締役:深津修一
従業員数:27名 ※契約社員含む
事業内容:映像機器レンタル・映像機器販売・イベント運営・ソフトウエア開発

 

 

 

取材・文 佐藤優子(耳にバナナが)
撮影 ハレバレシャシン