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イベントプロデューサー  山内明光さん

「サッポロ・シティ・ジャズ」の立役者
初心者の視点でアートイベントを企画・運営

この人がいなければ見られなかったステージは、どれも前例のなかったものが多い。
つかこうへい「銀ちゃんが逝く」のロングラン公演(1991年)しかり、
札幌の夏をジャズ一色に塗り替える「サッポロ・シティ・ジャズ」(2007年〜)しかり。
話を聞きたくて、山内明光さん(48)の勤務先である札幌芸術の森を訪ねた。

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  • 「サッポロ・シティ・ジャズ フライヤー」

  • 「サッポロ・シティ・ジャズ メイン会場 1」

  • 「サッポロ・シティ・ジャズ メイン会場 2」

  • 「札幌・ジュニア・ジャズスクール」

  • 「札幌・ジュニア・ジャズスクール ワークショップ」

  • 「札幌・ジュニア・ジャズスクール 遠征ライブ」

  • 「山内明光さん 1」

  • 「山内明光さん 2」

  • 「山内明光さん 3」

  • 「山内明光さん 4」

  • 「山内明光さん5」

  • 「山内明光さん 6」


 


「ホワイトロック」を引っさげ、2007年に始動

2007年7月、「北の芸術文化都市札幌から世界に発信する音楽イベントを創出すること」を目的に「サッポロ・シティ・ジャズ」(以下、シティ・ジャズ)は産声を上げた。実行委員会の名誉顧問には高橋はるみ北海道知事、上田文雄札幌市長の両者が名を連ね、官民あげての一大プロジェクトが動き出す。

「なぜ札幌でジャズフェスを?」——そこに至るまでには札幌芸術の森野外ステージで1999年から8年間続いた「サッポロ・ジャズ・フォレスト」の足跡を見過ごすことはできない。ジャズ・フォレストの担当者だった札幌芸術の森事業課の山内明光さんは準備年の2006年度からシティ・ジャズのフェスティバルプロデューサーとして手腕を発揮し、今日までの成長を陰で支えた立役者だ。

実行委員会が掲げた目標は、世界最大規模のジャズフェスとしてギネスブックに登録されている「モントリオール・国際・ジャズ・フェスティバル」に一歩でも近づけること。スタッフ、市民、アーティストが一体となって街が盛り上がる光景を札幌に重ねた。その一方で国内にも名だたるジャズフェスがあるため、札幌独自の特徴を打ち出したい。こうした課題を満たすために山内さんが出した答えは、以前から親しいイベント制作会社に紹介された映像投射式ミュージックドームの導入だった。

yamauchi01.jpg「サッポロ・シティ・ジャズ」の会場ホワイトロック(札幌大通公園2丁目)は400席。音と映像が織りなすライブ空間に「ホワイトロックが好き」という声も多数寄せされる。

yamauchi02.jpg会場内のレストランやバーで飲食も楽しめる。シティ・ジャズ昨年の観客動員数は10万人に達した。


屋外テントの幕がそのままスクリーンとなり、音楽を聴きながら映像も楽しめる。国内初披露となるアメリカ製の音楽施設を山内さんは「ホワイトロック」と命名し、マスコミ各社に導入を発表。2007年から始まるシティ・ジャズの大きな話題として売り込んだ。それから早5年が経ち、札幌の街中に現れる巨大テントは今や夏の風物詩として定着した。

今年の開催は7月13日から8月23日までの42日間、ホワイトロックや芸術の森野外ステージ、クロスホテル札幌などで総勢約350組のトップアーティスト、アマチュアが登場する。来場者アンケートによると毎年半数を初めての観客が占めるという。ジャズ通ならずとも楽しめる“シティ・ジャズファン”の輪が今年も大きく広がりそうだ。




アート初心者の自分だからできる発想を

山内さんにお話をうかがうと、意外なことにご本人はジャズとは縁遠い経歴の持ち主であることが見えてきた。札幌出身で高校時代は野球部に所属、北海学園大学の経済学部に進んでからはサーフィンにハマった。卒業後は「街中でスーツを着て働きたくない」というあまり大きな声では言えない動機で当時出来たばかりの札幌芸術の森に入り、今年で勤務25年目。ほぼすべてのキャリアを事業(イベント)の企画・運営に打ち込んできた。

はなからアート方面志望ではなかったため芸術文化の知識はゼロスタート。「周りと違いすぎる」自分に焦りやとまどいを感じながらの勤務2年目、ある夕方のことだった。職員自らが草苅りや水まきをしていた野外美術館の美しい夕暮れに包まれ、突然「きれいだな」と思える自分に気がついた。
「広報の仕事をしていたので、こういう素直な気持ちを人に伝えるのもいいもんだな、と。一般に多くの方があの頃の私のようなアート初心者だと考えると、私自身が通ってきたプロセスを見直すことでイベント集客のヒントが拾えるかもしれない。自分はそこを信じてやっていけばいい。そう考えられるようになった瞬間でした」。

yamauchi_top.jpg二十歳から始めたサーフィンは今も週に二度ほど苫小牧の海に向かう。大学4年の時はほぼハワイに入り浸り。




開園10周年につか芝居を一カ月のロングラン

アート初心者の自分が楽しいと思えるイベントを札幌市民と共に分かち合う。それは同時に“前例がない”という大きなリスクを背負うこととも無縁ではなかった。
山内さんの長いキャリアの中で今も鮮明に記憶に残っているのは、97年の札幌芸術の森開園10周年記念公演「銀ちゃんが逝く」だ。「園内のアートホールで平日も含め約1カ月間。今ではとても考えられないロングランでした」。
脚本・演出は、昨年他界した鬼才つかこうへい。エンターテインメントが大劇場に集中していた時代に東京都北区、大分県大分市に劇団を作り、地方演劇の育成に努めていたつかの芝居を札幌でも見てみたい——。そう願った山内さんはつか本人への依頼に始まり、スポンサー集めやキャスティング、そして“激情の人”であるつかの側近役をもこなす八面六臂の活躍で、前代未聞の大型事業を実現するまでの濃密な3年間を駆け抜けた。

終わってみると気になる結果は、400席の小屋で30日間30公演で観客動員数13,000人。周囲に幾度も実現を危ぶまれながら満員御礼に終わった「銀ちゃん…」の実績は山内さんの揺るがぬ自信となり、その後のシティ・ジャズの成功にもつながる布石となった。

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インタビュー中も窓の外では野外美術館の散策を楽しむ子どもたちの姿があった。緑美しい札幌芸術の森は訪れる海外アーティストたちも口々に絶賛すると言う。

 



寺久保エレナを輩出したジュニア・ジャズスクール

シティ・ジャズの前身である「サッポロ・ジャズ・フォレスト」は、玄人向けのイメージが強く定着が難しいと言われたジャズフェスへの挑戦から始まった。そしてそこにはもう一つ、山内さんが仕掛けた壮大な試みもあった。ジャズファンの裾野を広げようと「札幌・ジュニア・ジャズスクール」の開校を計画したのだ。
ところがこれにも“前例がない”ゆえの逆風が吹いた。当初頼みとしていた札幌市内の各中学校の吹奏楽部に協力をあおいでも「子どもにジャズ?」と理解が得られない。そのつれなさに燃えた山内さんたちが今度は対象を小学校に変えたところ、初年度ながら40人近くもの生徒が集まった。

yamauchi05.jpg「札幌・ジュニア・ジャズスクール」は一期一年制のフリースクール。オーディションで選ばれた札幌市内・近郊のメンバーで構成される。

 

yamauchi06.jpgワークショップには国内外の一流プレーヤーが教師役で登場する。食い入るように見つめる子どもたちの真剣な姿が教師たちとの相乗効果を生んでいく。


そこからは驚くほどの波及効果が現れた。全国でも類を見ない試みに東京のTV局が特番を組み、初めてのジャズに夢中になった子どもたちの中には不登校だった子が再び学校に通い始めたというTVドラマ顔負けのエピソードも飛び出した。
山内さんは言う。「ジャズという音楽が持つ可能性に子どもたちが共鳴したのかもしれません」。その後は中学生クラスも設置され、2004年に公開された映画「スウィングガールズ」のヒットも手伝い、道内でも一躍ジャズ人気が高まった。
 

yamauchi07.jpg遠征ライブも大事な活動の一つ。写真は北京公演。2008年には国際交流事業として中学生クラスが本場モントリオールの国際ジャズフェスにも出演した。


小学生クラスの三期生から参加していた札幌出身のアルトサックスプレーヤー寺久保エレナは「天才少女現る!」と国内外のトッププレーヤーをうならせ、2010年にメジャーデビューを果たした。「今年のシティ・ジャズにも出るエレナのライブチケットは申し訳ありませんが、すでにソールドアウトです。僕らが思っている以上の速さでジャズスクール事業は成長していきました」と山内さんも驚きを隠さない状況だ。

yamauchi08.jpg初年度は中島公園で開催されたシティ・ジャズ。2年目からホワイトロックは現在の大通へ。街中の飲食店やチケットガイドではオフィシャルガイドが無料配布されている。

 



夏のジャズから秋のショートフィルムへ

ICCチーフコーディネーターの久保俊哉が事務局長を務める札幌国際短編映画祭も、2010年には上映会場を従来の映画館からホワイトロックに移して話題を呼んだ。シティ・ジャズからヒントを得た起用だった。
久保が「前々からどんな人物だろうと気になっていた」と語る山内さんとは仕掛人同士、共有する考えも多いのだろう。夏のシティジャズから秋のショートフィルムへ。ホワイトロックでつながったイベントリレーについても「同じ場所を使うとイメージがかぶりそうでイヤがる意見が出てもおかしくない。イベント関係者の距離が近く、自由な発想が許される札幌だからできたこと」と二人は口を揃える。
 

yamauchi09.jpg久保「スポンサー集めのコツは?」山内「どんなイベントも一度見てもらえば絶対良さがわかってもらえると信じて説得にあたりますが、最後は一にも二にも人間関係。自分を信じてもらうしかないです」


取材を終えた久保はこう振り返る。「山内さんが新卒で今の職に就いていたことに驚きました。この手のイベントを果敢に行う人物なのでさぞかし多彩な職歴をお持ちなのでは、と勝手に想像していたのです。しかし実際には一つの職場で心も体も鍛え抜いた山内さんだからこそ出来たことがたくさんあるのだと感銘を受けました。なによりも“たくさんの人を喜ばせたい”という信念に僕も共感します」。



〈さっぽろ創造仕掛け人に聞きたい! 3つのクエスチョン〉

Q.“運命を変えた人との出会い”はやはりつかこうへいさんでしょうか。
A.仕事上最も影響を受けた人です。あの3年間はつかこうへい以外何も見えなかった。東京の北区と九州の大分市にも僕みたいなご同業がいて、関係者の間では「つかこうへいの3つのしもべ」と呼ばれていました。いろいろありましたが、人の心を操るのがものすごくうまい人だった。つかさんの思い出話を始めたら5時間経っても終わりませんよ。

Q.最近心を動かされた言葉を教えてください。
A. テレビドラマ『JIN-仁-』に出てきた「神様は乗り越えられる試練しか与えない」。自分の仕事も、いつもこう思って頑張ってきたようなものですから。

Q.今後の夢、目標は?
A. 「サッポロ・シティ・ジャズ」は今年5周年の一区切りがつきます。実はそろそろ自分は引き時だと考えていて、今の立場を次の世代に手渡したい。海外のフェスに見られるような、誰でも自由にアートを楽しめる空気感を札幌に定着させる。そのための選択肢をもっと広げて考えていきたいです。




●サッポロ・シティ・ジャズ http://www.sapporocityjazz.jp/
Twitter: @sapporocityjazz
サッポロ・シティ・ジャズ実行委員会
札幌市南区芸術の森2丁目75 札幌芸術の森事業課内
Tel. 011-592-4125
mail:info@sapporocityjazz.jp


取材協力 札幌芸術の森
取材・文 ライター 佐藤優子(耳にバナナが
撮影 ハレバレシャシン