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手鼓 太伸世流 初代宗家  茂呂剛伸さん

アフリカン楽器のジャンベ演奏家として名を馳せる茂呂剛伸さん。
2010年2月には、なんと新たな流派を開き、初代宗家となった。
「手鼓 太伸世流(しゅこ だしんせりゅう)」創立のいきさつや、
ライフワークとする「縄文コンテンツ」について解説していただいた。

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  • 「茂呂さん 1」

  • 「茂呂さん 2」

  • 「茂呂さん 3」

  • 「茂呂さん 4」

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  • 「Live 1」

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  • 「Live 5」

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  • 「縄文太鼓 3」

  • 「縄文太鼓 4」

  • 「太鼓の材料」

  • 「縄文グッズ」

 

西ガーナで修行、体に刻んだ太古のリズム

演奏家というよりは、誠実さでトップセールスを築く営業職のよう。ほがらかな笑顔と丁寧な話口調の端々に“いい人オーラ”がにじみ出る。が、ひとたびステージに上がれば、ジャンベのリズムに魂を注ぐ気迫あふれるパフォーマーの顔になる茂呂剛伸さん。

今年6月7日、札幌市内のクロスホテルで開催された「北海道ヘアデザイナー100人展2010」のオープニングパーティーでは、最後の一打が響き終わると同時に聴衆から歓声が上がり、熱い拍手が送られた。

江別市生まれ。和太鼓を学び、19歳のときにストリートミュージシャンの演奏で西アフリカの伝統楽器ジャンベに出合う。バチを使う和太鼓と違い、手のひらで演奏するジャンベは単純明快な打楽器。単純だからこそ奥が深い世界に魅了された。21歳で西ガーナへ渡り、一年間住み込む現地修行に赴いた。

「行く前は500種類もあると言われるリズムを全部覚えてやろうと意気込んでいましたが、実際にはとてもとても。手始めにたたいてみろと言われ、音を出しても誰も見向きもしない。次に村の5歳くらいの子どもがたたいたら、めちゃくちゃうまい(笑)。結局、受け入れてくれた部族の長からは毎日同じリズムだけをやれと言われて、日がな海を見ながらひたすらジャンベをたたくだけの毎日でした」。

指の節に血豆ができるまでたたき続け、半年も過ぎたころ、ふと気がつくと自分の音で子どもたちが踊り出した。考える間もなく体が動き、手のひらがひとりでにリズムを刻んだ。太古のリズムを文字通り体に刻んだ瞬間だった。そこから習得したリズムは全部で4種類。その後の演奏活動を支える大きな自信となった。

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クロスホテルでの演奏風景。演奏にはいつもネクタイ姿の正装でのぞむ。



現役サラリーマンの視点で「太鼓の産業化」


帰国後、日本では数少ないアフリカンドラムの奏者としてさまざまなステージから声がかかった。2006年に生け花草月流の舞台に参加し、05年、07年の東京新国立劇場「ハンブルグ・パリオペラ座バレエ公演 融」ではバレエとのコラボレーションが高く評価された。
09年、10年と2年連続でYOSAKOIソーラン祭りの上位入賞常連チーム「新琴似天舞龍神」と共演し、和のリズムをジャンベでたたく新たな手応えを実感した。

こうして演奏キャリアを順当に伸ばすかたわら、茂呂さんにはもう一つの顔があった。実家の不動産仲介業「未来通商株式会社」に在籍する現役サラリーマンの顔である。

ネクタイをしめ名刺を交換し、一般的な経済感覚を持つ企業人の側面が茂呂さんを「太鼓の産業化」へと駆り立てる。「子どもたちが“将来の夢は太鼓演奏家”と言えるように経済的にも成り立つ産業にしていきたい」。
その一環として2010年2月、自らが初代宗家となる「手鼓 太伸世流(しゅこ だしんせりゅう)」を創立した。「手でたたく太鼓の響きが世の中に太く伸びていくように」願いをこめて、友人知人たちに見守られる中、北海道神宮に流派名を奉納し、新たなスタートをきった。

現在、弟子は10人。「老人クラブの仲間に聞かせたい」と張りきる70代の女性や、チェロを弾く妻との共演を目指す男性など、年齢も動機も音楽経験も十人十色だ。「皆さんのすばらしい夢や目標に、教える側の私がいい刺激をいただいています」。

moro_284.jpgさまざまなステージを経験してきた茂呂さんの手のひら。打面へ打ち込む角度の変化やスピードの緩急であらゆる音をたたき出す。



全盲の兄を伴い音楽療法にも積極的に参加


「太鼓の産業化」を実現するには、舞台表現としての観光資源化と、子どもたちに親しまれる教育現場での浸透、そして音楽療法に積極的に参加する三本柱での活動が大切だと茂呂さんは語る。

茂呂さんには第一級障害に認定された全盲の兄がいる。「音楽好きですごく耳がいいんです。あるとき一緒に風呂に入って“風呂桶セッション”をしたらそれがすごく楽しかったみたいで、ジャンベに興味を持ってくれるようになりました」。

やがていくつかの曲目を覚えた兄を伴い心療内科のデイケアや地域活動支援センターでの演奏会を重ねるうちに、社会参加を楽しむ兄の変化が見えてきた。
「聞いてくださる方、演奏する兄、そしてその兄の変化を見守る私の両親、と喜びの輪が確実に広がっている。これも手でたたくだけというシンプルな打楽器だからできること。一部の演奏家だけが独占するのではない、万民に開かれた太鼓ならではの魅力です」。

今、兄の目標は視覚障害者と晴眼者で構成されるバンド「ノイズファクトリー」のパーカッショニストになること。決して平らではない産業化への道のりを歩く茂呂さんに勇気を与え続けている。

moro_250.jpg茂呂さんのオフィス近所にある公園にて。椅子に座り両足の間にジャンベを置く他に、写真のような演奏スタイルもあるという。



ライフワーク「縄文コンテンツ」の発信に全力


「実は手鼓 太伸世流を名乗ろうと思えるようになったのも、ある方との出会いがあったからなんです。“そろそろ後生への指導も視野にいれてはどうだ”と背中を押していただきました」。
茂呂さんがこう語る「ある方」とは、詩人にして札幌大学名誉教授の原子修氏。「一万年のあいだ戦争のなかった」縄文文化の魅力を現代に発信する活動で知られる人物だ。「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」は現在、文化庁の「世界文化遺産」国内暫定リストにも掲載されている。

二人の出会いは2008年のこと。茂呂さんの演奏を「縄文の音がする」と絶賛した原子氏の自宅に招かれ、一度の来訪で約4時間語り合う自己紹介が数週間続いた。終盤話すことが尽きてくる頃には、茂呂さんもすっかり縄文文化発信の一員になる覚悟を決めていた。

なにより原子氏のアイデアをもとに始まった、江別市で出土された縄文土器の複製を太鼓にする「縄文太鼓」の制作・演奏が「自分の中に落ちていく」感覚を味わった。「北海道の土、エゾシカの革で作った縄文太鼓を、江別に生まれ札幌に暮らす自分がたたく、他のどこにもないメイド・イン・北海道の音は大きな観光資源になる予感がします」と目を輝かせる。

それにしても「自然を愛し、平和を愛した縄文精神」と言われても…申し訳ないがぴんとこないという人が大半ではないだろうか。「ですよね(笑)、だと思います。私がこれからライフワークとして挑むのは、一般の方にもわかりやすい“縄文コンテンツ”を開発・発信していくこと。6月17日にICCさんで初めて音楽と映像、ダンスが一体となった縄文パフォーマンスを披露する場をいただきましたが、今後もどんな形が考えられるのかいろいろ試していきたいです」。

本場仕込みの手鼓の技と企業人のビジネスセンス、そこに加わる縄文文化というエッセンスがどんな化学反応を見せるのか。茂呂剛伸、32歳。北海道に元気をもたらす未来のリズムを刻み出す。

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moro_100.jpg原子氏が作・芸術監督を務める7月22日公演の詩劇「縄文」では太鼓演奏と事務局長を兼ねる茂呂さん。当日はグッズ販売に加えて「縄文ビール、縄文クッキーもご用意したいです」。

moro_208.jpg   moro_226.jpg 「縄文太鼓」の革張りには、割れやすい土器に負荷をかけないためジャンベ用の革張り方法を採用。写真右と左はサイズやデザインが異なるがどちらも縄文太鼓だ。


 

●詩劇「縄文 —未来からの声—」〜縄文の郷(さと)サッポロからの発信〜

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(C)「縄文 – 未来からの声 – 」上演実行委員会

http://www.jomon-art.net/
2010年7月22日(木)18:30開場19:00開演
会場/札幌市教育文化会館大ホール 
入場料/前売4,000円 当日4,500円
教文、道新、大丸、4プラ各プレイガイドでチケット好評発売中!
問い合わせ担当/手鼓 太伸世流 初代宗家 茂呂剛伸
連絡先/未来通商株式会社
札幌市豊平区平岸2条9丁目5-22 
TEL.011-832-5551
茂呂剛伸ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/dasinnse
 

 

取材・文 ライター 佐藤優子 
仕事blog「耳にバナナが」  http://mimibana.exblog.jp/

写真 山本顕史(ハレバレシャシン)