現在位置の階層

  1. トップ
  2. ニュース
  3. アーカイブ
  4. Feature
  5. 水彩色鉛筆画家 鈴木周作さん 「縁」を大切に、10年20年先につながる仕事を

アーカイブ

水彩色鉛筆画家 鈴木周作さん 「縁」を大切に、10年20年先につながる仕事を

feat_vol23.jpg

「市電沿線ぶらりまちあるきマップ」、6/10の路面電車の日を記念して発売された「札幌市電【路面電車の日】記念ウィズユーカード」、「東急電鉄【世田谷線沿線散策ガイド】」・・・。札幌在住の水彩色鉛筆画家・鈴木周作さんが描く作品は、水彩色鉛筆ならではの雰囲気を持ち、見るものを温かい気持ちにさせてくれる。「電車の絵なら鈴木周作さん」と言われつつある今に至るまで、どのような活動をしてきたのか、鈴木さんにお話を伺った。


北海道への旅と水彩色鉛筆との出会い

東京に住み、コンピュータ関係の専門学校を卒業後、SEとしてソフトウェア開発の会社に就職をした鈴木さん。とにかく仕事が忙しく、自分の時間がまったくない生活が続く。就職後1年が経って、少し自分の時間ができた頃、休日出勤した帰りにふらっと東京駅へ立ち寄った。
「運にまかせる気持ちで、その日の北斗星の切符が取れるかどうか聞いてみたんです。残業代がたまっていたこともあり、一番高い"ロイヤルA寝台"で。そうしたら、券がとれてしまい、その日に北海道へ旅立ちました」。
それまで仕事で忙しくしていた自分が、すごく遠い印象のあった憧れの北海道に、たった一晩で来ることができたということにカルチャーショックすらあったという。それ以来、鈴木さんは月に1〜2回は北海道へ足を運ぶようになる。
旅行へ行くときにカメラを持つのが重いと感じていた頃、文房具屋でたまたま水彩色鉛筆の12色セットを目にする。販売員さんが書いている様子を見て、「これなら自分にもできるかも」と購入した。特に絵が好きだったわけでもなく、勉強していたわけでもない鈴木さんと絵の出会いは、水彩色鉛筆と北海道への旅行がきっかけだった。
「気軽に始めた絵ですが、だんだん面白くなってきて、"北海道が好き"から"絵を描くために北海道へ行く"に、いつしか変わっていました」。


人との出会いと縁が、絵の仕事へと導いた

北海道への初めてのスケッチ旅行で、鈴木さんにとっての大切な出会いがあった。
鈴木さんは、川湯温泉駅にある喫茶店「オーチャードグラス」に立ち寄り、ログハウスの駅舎を描いていた。 「1日中、そこにいて、マスターといろいろな話をしました。帰り際に『ずっと書き続けろよ。きっといいことがあるから』と言われ、初めて自分の絵を他人が見て評価してくれたことがうれしくて。これをきっかけに、趣味の領域から、少し掘り下げてみようと考えるようになりました」。
その後、北浜駅にある喫茶店「停車場」でも、同じようにマスターに声をかけてもらい、絵を描き始めて3年程して、2つのお店のポストカードを商品として置かせてもらうことに。 「"まっぷるマガジン"という旅行雑誌によく掲載されているカメラマンの写真が好きでした。スケッチ旅行に釧網本線を選んだのも、その方の写真と記事がきっかけでした」。 ポストカードとして初めて絵が仕事になったとき、このカメラマンに、ファンレターの意味も込めてお礼の手紙を出した。その後、カメラマンから雑誌の絵の依頼がくることに。いろいろな縁がつながって、絵が仕事となり始め、鈴木さんはSEと水彩色鉛筆画家の"二足のわらじ"をはくことになる。


  会社を辞め、路面電車のある街「札幌」へ移り住む

「絵の仕事は、やりたくてもできるものじゃなくて、縁があってできるものなので、もらったときには無理してもやらなくては、と思っていました」という鈴木さんの当時の生活は、最終電車で帰宅し、午前3時くらいまで絵の仕事をし、朝の通勤電車の中では膝の上にスケッチブックを置いて描く――、そんな日々だった。
そして、29歳のとき、次なる転機が訪れる。東京のある出版社から絵本の依頼がきたのだ。「まとまった枚数を同じタッチで仕上げるのは、片手間では大変だ」と考えた鈴木さんは、ここでSEの仕事を辞めることを決意。翌年には、以前から計画していた北海道への移住も実行した。絵を描き始めてから9年目のことだった。
「路面電車のある街に住みたい」と思っていた鈴木さんは、札幌に住むことに。
その後も、東京にいた頃のつながりや、「人から聞いて・・」という仕事の依頼などをこなし、一度請けた仕事がきっかけで、次へとつながる仕事も多いという。ご自身のホームページにも盛りだくさんの情報がきっちり整理されており、見た人から問い合わせが来ることもあるそうだ。
「自分に縁がない場所を描くのは難しいので、いずれ自分が描きたくなるだろうと思う場所には、できるだけ今のうちから足を運ぶようにしています」。
仕事以外でも絵を描いて、自分の引き出しを増やしている。
また、「苦手な分野ほど、やったほうがいいという意識があります」という鈴木さん。絵の講師の仕事を引き受けたのもそんな思いからだった。独学で絵の勉強をしてきた鈴木さんにとっては、感覚的に描いていた絵を、人に教えることによって、自分の技術を改めて見つめ直すことになったという。

自分をプロデュースする!

「絵がうまい人はたくさんいます。その中で自分をとりあげてもらうには、"コレなら鈴木だ"というものが必要です。もちろんそれだけではだめだけれど、核になるものを考えたときに、私にとっては、"路面電車のある街"が大きなテーマとなりました」。
鈴木さんは、路面電車と都市交通の未来を考える「札幌LRTの会」にも参加し、仕事のテーマとしてだけでなく、個人的にも思い入れを持っているとのこと。 「最近は、いろいろなクライアントから、路面電車を軸として、仕事の依頼がきています。今まで積み重ねてきたものがやっと形になってきたということは、うれしいですね」。
今後の展開については、「今まで、出会いや縁で導かれてきた部分があったと思います。自分で先々を見越して考えるというよりも、その時々でがんばっていれば出会いがあって良い方向にいくと考えています。他力本願ではなく、積極的に縁や運にまかせていきたいという感じですね」と語ってくれた。


目先にとらわれず将来につながる仕事を

まだまだ自分も経験が必要だと言いながら、「目先の収入よりも、10年20年先のためにつながるような仕事をしたいと思っている」という鈴木さん。まったく畑違いの世界から、絵の世界に飛び込んだ鈴木さんが実感したのは、セミプロの時代にプロへの修行の時期と考えて過ごすのか、天狗になったアマチュアに留まるのかが大きな分かれ目だということ。
鈴木さん自身からは、今もなお修行の気持ちを持ちつつ、自分自身の実力を積むための努力を惜しまないという姿勢が感じられる。
「振り返るとあまり運のない人生なんですが、10のうち9はずれても1が当たって今があるように思います」。さまざまな苦労を乗り越え、その1をつかむことこそが、プロの力なのだろう。

●水彩色鉛筆画家 鈴木周作
ウェブサイト http://www.h2.dion.ne.jp/~syuchan/ 
Creator Profile http://s-xing.jp/db/ind/prof0105.html

◇原画展【さっぽろ市電日記】 開催
  7/13〜19日まで、NHK札幌放送局内「NHKギャラリー」にて →詳細

取材・文 佐藤保子