「どうしてこうもタテワリなのか」
オリンピックが終わった。
開会式のやらせ問題等いろいろあったが、振り返ってみればほぼ例年通りのオリンピックだった。CG花火や、くちパク少女などマスコミはこぞって叩いたが、中国側は「細かいことをとやかく言うな」と一蹴した。内政問題、外交問題、四川の地震の問題等々を全部棚上げにして国家的プロパガンダとして取り組んだオリンピックの中で、CGやくちパクなど彼らにとっては確かに取るに足らないことだろう。世界に向けて現代中国の威光をアピールする二週間だったわけで、その目標達成のためには不都合なモノは徹底的に覆い隠し、撤去し、スモッグが問題視されるやいなや工場の稼働を停止し、ミサイルで雨を降らせる。(ミサイルで雨って・・・)そんな風に徹底して統制されたなかで粛々と新しい中国がアピールされた。中国ブランドの短期集中キャンペーンとしては概ね成功したのではないだろうか。少なくとも中国はそう考えているだろう。
短期間でネガティブイメージは徹底して排除し、現実を120%美化する。東京ディズニーランドにはゴミが落ちていないのと一緒だ。
そんなオリンピックで気になったのは日本のユニフォーム。アメリカやオランダや、ブラジルのチームユニフォームが競技が違ってもその国のチームとわかるのに対して日本チームは競技ごとにてんでバラバラ。キーカラーも赤だったり青だったり白だったり。書体もバラバラ、デザインもマチマチ。日本選手団としてのブランディングがまるでできていなかった。原因は各競技協会の横のつながりがなく日本選手団全体としての連携が取れていないからだ。「金メダル以外はいらない」と豪語していたにも関わらず期待はずれに終わった野球にいたってはその最たるもので、同じ競技内にも関わらず、プロ、社会人、大学、高野連と異なる団体が並列して存在していて連携が取れていない。今回北京でオリンピック開催の最中、プロ野球、高校野球、社会人リーグがそれぞれ並行して行われているというバラバラ状態だった。当然、お互い協力・連携を取らないどころか、やもすれば互いに潰し合うゆがんだ覇権争いがまかり通っている。一競技内部でもこれだけの分裂があるのだから、日本選手団など名ばかりの、一皮めくれば各競技協会同士の助成金ぶんどり合戦なのだ。野球選手団、マラソン選手団の選手村拒否問題にしても最初からバラバラなんだから当然といえば当然の出来事だろう。このような状況で日本選手団の統一ブランディングなんてできるわけがない。
全ての問題の発端はひとことに尽きる「タテワリ」だ。オリンピックで垣間見られたように「タテワリ」は行政だけでなく、スポーツや企業、あらゆる団体に潜んでいる。たとえば企業のブランディングを考えるとき、企画営業、技術開発、広報宣伝などの部署間の「タテワリ」がやはり存在する。これは大企業になればなるほど、歴史が長ければ長いほど、その傾向は強く、しかも各分野の担当がそれぞれの実績とノウハウ、自信とプライドを持っているので一筋縄ではいかない。「その色では売れない」、「この技術をアピールしたい」、「このフレーズが購買欲を刺激する」等々。これら全ての意見を取り入れていては情報が散漫になり、「全て言っているのに何も伝わらない」という状態になってしまい結果、折衷点の模索に終始することとなりそのブランド開発は失敗に終わる。全てを言いたいのは、何を言いたいのかがわかっていないからだ。馬券を全通り買っても儲からないのと一緒。絶対うまくいかないのだ。にもかかわらず「タテワリ」の環境下ではこの全通り買いが横行している、というか全通り買いをせざるを得ないのが「タテワリ」なのだ。縦に割るのはスイカぐらいにして、買い目を絞らないと損する一方だ。
「縦割り行政」
省庁間や部署間の連携が欠けるため、上下関係はあっても横のつながりが欠け、国では各省庁、自治体では各部局での施策の違いもあり足並みが揃わず、国民や一般市民の視点からは、無駄やはなはだ効率の悪いものとして目に映る。あるいは、しばしば他の省庁の許認可を得るために時間のロスが発生する。役人は他部署からの介入は、自身の権限を奪われる事と考えるため、連携して何かをするという発想はない。省庁が異なれば、席が隣でも何やってるかわからないというのが実情である。(Wikipediaより)
プロフィール:
吉川徹(アートディレクター/プランナー)
1964年神奈川県生まれ
1983年渡米, Pacific Northwest College of Art 絵画科卒(BFA)
1989年帰国, 広告会社, 展覧会企画会社を経てフリー
2000年より, ロンドンに拠点を置くクリエイティブ集団tomatoのワークショップに参加をきっかけに以後, 様々なプロジェクトに参加
2004年より, 北海道札幌市の創造都市計画『sapporo ideas city』に参画
2007年, D&DEPARTMENT PROJECT札幌店立ち上げに参画


