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    <title>特別インタビュー</title>
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    <updated>2012-01-27T05:41:38Z</updated>
    
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    <title>新春特別企画　　映画監督　岩井俊二さん</title>
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    <published>2011-12-31T15:00:00Z</published>
    <updated>2012-01-27T05:41:38Z</updated>

    <summary><![CDATA[Love Letter の岩井俊二 &nbsp; X &nbsp; Inter ...]]></summary>
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        <name>ICCサイト管理者</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.icc-jp.com/special/">
        <![CDATA[<p><strong><span style="font-size: 130%;">Love Letter の岩井俊二 &nbsp; X &nbsp; Inter x cross Creative Center<br />
新春特別企画「2012年 いまこそクリエイティブの力を」 </span></strong><br />
北海道とも縁の深い映画監督。小樽で撮影された映画 Love Letterは、国内外を問わず多くのファンの心を魅了した。昨年、3月11日に日本は未曾有の大地震を体験し、大きな悲しみ中にいる。社会構造や、人々の思考は激しい転換に迫られ、本質を探しはじめている。クリエイティブは何を提示できるのか、2012年の展望を岩井俊二監督に伺った。</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="560" alt="iwai_top.jpg" class="mt-image-none" style="" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/iwai_top.jpg" />
</span>
<p><strong><span style="font-size: 120%;"><br />
Phase.1 「2011.3.11」</span></strong><iframe height="315" frameborder="0" width="560" src="http://www.youtube.com/embed/4wuAzNFVSh8?rel=0" allowfullscreen=""></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;<strong><span style="font-size: 14px;"><span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal; font-size: 12px;"><strong><span style="font-size: 14px;">Phase</span></strong></span>.2 「A step to 2012」<br />
</span></strong> <iframe height="315" frameborder="0" width="560" src="http://www.youtube.com/embed/cZJyU889lHU?rel=0" allowfullscreen=""></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span style="font-size: 14px;"><span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal; font-size: 12px;"><strong><span style="font-size: 14px;">Phase</span></strong></span>.3 「The power of creativity」<br />
<iframe height="315" frameborder="0" width="560" allowfullscreen="" src="http://www.youtube.com/embed/63m4u2qO0ro"></iframe> <br />
<br />
【近日　特典映像公開予定】
</span></strong></p>]]>
        
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    <title>ICC10年の歩み　クリエイティブディレクター　　前田弘志さん</title>
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    <published>2011-03-28T06:44:50Z</published>
    <updated>2011-04-01T03:28:53Z</updated>

    <summary><![CDATA[          &nbsp;　黒と赤を基調にしたデザイン展開は、インタークロ...]]></summary>
    <author>
        <name>ICCサイト管理者</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.icc-jp.com/special/">
        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="560" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/maeda_top.jpg" alt="maeda_top.jpg" /><br />     <br />     <div class="maeda" id="other_files">&nbsp;　</div></span><p><br />黒と赤を基調にしたデザイン展開は、<a href="http://www.icc-jp.com">インタークロス・クリエイティブ・センター（ICC）</a>の存在を表す基本。クリエイティブディレクター／デザイナーの前田弘志さんは、2001年のICCオープン以来、一貫してそのデザインワークを手掛けてきた。企画・制作プロダクション「バナナムーン・ステュディオ」を経営する一方、時に札<a href="http://www.sapporo-adc.com/">幌アートディレクターズクラブ（札幌ADC）</a>の創設に力を注ぎ、時に大学院生として企業のブランディングを研究するパワーの持ち主だ。<br />一デザイナーとしての活動に閉じない、その想いや実績、ICCデザインワークの裏話を久保俊哉チーフコーディネーターがインタビューする。<br />&nbsp;<br /><br /><strong>―　前田さんにはICCのデザインワークをオープン以来ずっと担当していただいています。個人的にも</strong><strong>それ以前から仕事でお付き合いさせてもらっていますが、今日は、デザイナー、そしてクリエイティ ブディレクターとしてのこれまでの実績や札幌ADCの創設に尽力された話など、深いところまでお聞きしていきたいと思います。<br />　まず、デザインの道の入ったきっかけからお話しいただけますか？</strong><br /><br />この道に入ったのは、北海学園大学経済学部在学中に、プロのミュージシャンになりたくて、スタジオ代を稼ぐために求人情報系出版社の学生援護会（<a href="http://www.inte.co.jp/">現 株式会社インテリジェンス</a>）でアルバイトを始めたのがそもそもの始まりです。<br />最初は『日刊アルバイトニュース』の企業レポート記事を作成するためのライター業務やイラストレーションが主だったのですが、その後、会社が『DODA（デューダ）』の北海道版を創刊することになって、その広告キャンペーンの企画と制作を担当するようになりました。<br />結局、そこでのアルバイトが高じて、大学には７年間も通うことになってしまったのですが、「ちゃんとこの道でやっていこう」という意志を持つようになりました。それで、卒業と同時に一流の人に師事したいと思い、<a href="http://www.kishimoto-hideo.jp/">岸本日出雄さん</a>というフォトグラファーの口添えで、アートディレクターの玉本猛氏の事務所に入れてもらえることになったんです。後にも先にもただ一人の直弟子で、「玉本流」を基礎から学ばせてもらいました。<br /><br /><br /><strong>―　そこでは思い通りデザインを勉強できましたか？</strong><br /><br />玉本さんの事務所はとにかく蔵書がものすごくたくさんあって、仕事中も仕事の合間にも読みまくりました。<a href="http://www.tokyoadc.com/">東京ADC</a>年鑑や<a href="http://www.jagda.org/">JAGDA</a>年鑑などが何十年分もズラリと揃っていたので、毎日むさぼるように読んで、過去から現在に至るまでどんなデザイナーが活躍していて、どんな作品を作っているのか、たくさん頭に入れました。玉本さんが見せてくれる技術も本当にすごくって、お金をもらいながら勉強させてもらった感じでしたね。<br /><br /><br /><strong>―　まさにデザインに目覚めたという感じでしょうか？</strong><br /><br />当時は糸井重里さんとか川崎徹さんのようなスターがいて、広告とかCMが元気で面白い時代だったので、広告に対する憧れを漠然と持っていました。最初はライターから入ったのですが、デザインのほうが華々しくてカッコ良さそうだなと思っていましたね。海外ロケなんかがある仕事でディレクターとかやりたいな、みたいな。（笑）<br /><br />&nbsp;</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="366" width="550" alt="kubo.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/kubo.jpg" class="mt-image-none" style="" /><span style="font-size: 80%;"> インタビュアーの久保俊哉氏（左）と前田さん。知り合って15年になる</span></form><p><br /><br /><strong>―　当時のデザイナーの仕事というのは、具体的にどんな内容だったのですか？</strong><br /><br />今のようにPCでデザインを起こすような環境はなくて、全て手作業です。広告や雑誌の誌面などは、「版下」と呼ばれる厚紙の台紙の上に文字や図版をゴム糊で貼って仕上げ、印刷会社に入稿するのがデザイナーの仕事でした。ラフスケッチを描くのは今と同じですが、文字は職人さんに「写植」という和文タイプライターの写真版のようなもので印字してもらい、その印画紙を僕らが手作業で切り貼りし、イラストや写真の指示を貼り込み、色指定をするという形ですね。<br /><br /><br /><strong>―　私も広告代理店にいたことがあるので良くわかりますが、版下制作は、今では考えられないアナログな世界でしたよね？</strong><br /><br />僕がアルバイトで入った学生援護会は、当時、北海道に支社を開設したばかりで、編集者は何人かいたのですが、デザイン担当者は一人もいませんでした。そんな中で「キミ、デザインに向いてそうだから、やって」と。しかし、僕はデザイン教育を受けていないので、わからないことだらけでした。例えば色指定をするのも、「ここは赤」などと、とてもアバウトな指定をしていたのですが（笑）、見かねた印刷会社の担当者がカラーチャートを持ってきてくれて、やり方を教えてくれたり、版下が製版にまわって実際に印刷物になるまでの工程を見学させてくれたりしました。<br />現場の工程を知ることができたのは幸運でしたね。あとで知り合ったデザイナー仲間から聞いたのですが、デザインの専門学校などでも、絵を描いたりするテクニックを教えるのが中心だったらしく、彼らでも現場のことは就職してから初めて知ることだったようです。<br />印刷の現場とそこで使われているテクノロジーはとても刺激的で、すっかりその製版テクノロジーの虜になってしまいました。<br /><br /><br /><strong>―　もともとそうした技術的なものへの関心は高かったのですか？</strong><br /><br />そうですね。玉本さんのところには1年半ほどお世話になった後、独立したのですが、ちょうどその頃にMacintoshが出てきて、そのテクノロジーにまたのめり込んで行きました。シンセサイザーをやっていたこともあって、Macへの関心はすごいものがありましたね。MacでのDTP（DeskTop Publishing）を普及しようと、デザイン用品商社のいづみや（現 株式会社Too）と組んで、道内の色々なところに出かけて行って普及活動をしたり、米国のソフトウェア会社からの依頼で、後にDTPソフトのスタンダードになることになるソフト開発の公式テスターを務めたりもしました。契約上、社名やソフト名は言えないのですが。<br />どうも自分はまだ誰もやっていないところに入って行ったり、勝ち目がないと思ったら新しいフロンティアを見つけるのが好きなようで（笑）、テクノロジーやMacに傾注したのはそんな理由もありますね。<br /><br />&nbsp;</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="366" width="550" alt="aeda4.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/aeda4.jpg" class="mt-image-none" style="" /><span style="font-size: 80%;"> ライターからスタートし、デザインの道へ。デジタル化の黎明期にはMacintoshに傾注した</span></form><p><br /><br /><strong>―　デザイナーとして自信を持つきっかけになったことなどは？</strong><br /><br />「DODA（デューダ）」の広告で全北海道広告協会の賞をもらったことですね。独立して1年経った1991年のことです。前年に独立しましたが、学生援護会には年間契約で仕事をさせてもらっていたので、当時の支社長もとても喜んでくれました。<br />僕は美術教育を受けていないこともあり、コンペのような専門的な目で外部評価をもらえるようなもので、自分の力がどのあたりにあるのかを測りたいという意識があったんですね。そういう意味でもコンペで選ばれたことはとても嬉しかったですし、自信にもなりました。<br /><br /><br /><strong>―　他のデザイナーと比べて何か違うなと思う点などはありますか？</strong><br /><br />最初にデザイナーではなく、ライターの仕事から入ったせいか、デザインを起こすときも、まずはイメージを言葉で積み上げていって、それを絵にしていくという形が多いですね。札幌には優れたデザイナーがたくさんいて、友人にはビジュアルが「降りてくる」という天才肌のデザイナーが何人もいますが、僕は残念ながらそうではありません。コピーも自分で考えるので、そこは他のデザイナーとは違う点かもしれません。<br /><br /><br /><strong>―　コンペへは早い時期から出品していたのですか？</strong><br /><br />そうですね、20代の頃から。世界遺産のポスターを展示する展覧会のために作った作品が初めて<a href="http://varsovie.hypatie.com/english/biennale.htm">ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ</a>に入選し、1992年には開業前のサッポロファクトリーがポスター大賞というアートコンペ的なものをやったのですが、それにも出品して賞をもらいました。テクノロジーの活用を自分のスタイルにしようと思っていた時期で、友人のフォトグラファーと組んでMacを駆使して作品を作って、それを出品しました。<br />Photoshopがちょうど世に出た頃で、PCを使って合成をしてみようとか、色んなトライをしていました。初期のPhotoshopはカラー表示がRGBにしか対応していなくて、CYMKにするとディスプレイで見れないとか、undoが１回までしかできないとか、色々な制約があって、今思うとよく使っていたなぁと思います。<br /><br />&nbsp;</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="827" width="550" alt="award.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/award.jpg" class="mt-image-none" style="" /><span style="font-size: 80%;"> 国内外のコンペでアワード受賞歴も多数。前田さんにとって、コンペは外部評価がもらえる貴重な機会だ</span></form><p><br /><br /><strong>―　私が前田さんが出会ったのが1996年頃、そして、2001年4月にICCがオープンするわけですが、「4月のオープニングまでに間に合わせてほしい」と無理を言って、ICCのデザイン展開をお願いしました。基本のロゴデザインは高橋一郎氏が作ってくれていましたが、パンフなど、色々なツールに展開していく作業が必要でした。時間がない中で、こちらとコンセプトを共有しながらプロの仕事をしてくれる人は誰かと考えた時、前田さんしか思い浮かばなかったのです。それで「急な話ですけど・・」といってお願いしたんですよね?</strong><br /><br />その時のことは今でもよく覚えています。話を聞きながらディスカッションしている間に、その場でかなりアイデアが出てきて、もういくつかデザインのスケッチを作ってしまいましたね。時間をかけなくても良いものが出来るんだなとその時思いました。もちろん、時間はかけるべきですが。そしてお金も。（笑）<br />高橋さんのVIがたまたまそうだったからではあるのですが、この仕事で「赤」と「黒」の組み合わせの使い方がとても上達したんじゃないかと思います。それまで僕はあまり使わなかった組み合わせだったのですが、「赤」が「黒」と出会うととても素敵になることを、この仕事で教えてもらった感じです。<br /><br /><br /><strong>―　VIを策定する際に、高橋さんとは、ICCは皆それぞれに色を持った人が集まる施設になるだろうから、無彩色を使うことで話をしていたのですが、それではあまりにも無味乾燥なので、それで赤を入れようということになったのです。</strong><br /><br />その考え方には僕も大賛成でした。ICCの主役は、やはりICCに集う様々なカラーやタッチを持ったクリエイターたちで、ICCは黒子ですよね。黒子のICCをデザインする上では、妙な色が付いているべきではないです。それに、どんなデザインにも「&times;」は絶対に入っているべきだと思いました。「&times;」のロゴだけ入っていれば他の表現は何でもありってことではなくて、ビジュアルやフォルム全体が「&times;」を発しているべきだと。それで、黒白グレースケールにクリエイター共通の情熱の色「赤」のみを使うこと、必ず「&times;」であること、中性的・無機的なものをモチーフにし、そして特定の個性に強く傾く情感・肉感表現やタッチにはしないことを、僕自身の「縛り」にしました。要するに「前田っぽいタッチにしない」ってことです。<br />とは言え、その後ICCのビジュアルでたくさんの賞をもらうことになりましたので、結果的には僕にとって出世作になりました。韓国国際ポスタービエンナーレでシルバーを受賞できたのは嬉しかったですね。その他、チェコの<a href="http://www.sbb-bienalebrno.cz/english.htm">ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ</a>、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ、富山の世界ポスタートリエンナーレに入選し、北のペーパーコンクールではグランプリを、札幌ADCでもシルバーを受賞しました。本当にありがたいことです。<br /><br />&nbsp;</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="366" width="550" alt="ICC_4.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ICC_4.jpg" class="mt-image-none" style="" /></span><p><img height="366" width="550" alt="ICC_トロフィー.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ICC_%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC.jpg" class="mt-image-none" style="" />I<span style="font-size: 80%;">CCオープン時以来、デザインワークを一貫して担当。パンフレット、ポスター、カレンダー、トロフィーなど、制作点数もj数多い</span></p><p><br />&nbsp;<br /><strong>―　ICCは常に&ldquo;Under Construction&rdquo;で発展しつづけていくというコンセプトに共鳴してくれて、グッズ展開も積極的にやりましたね？</strong><br /><br />デザインをしたというよりも、ストーリーを考えて展開していくという仕事でした。&ldquo;Under Construction&rdquo;というコンセプトの核がすでにできていたので、それをもとにストーリーを考え、形にしていきました。最初の段階で８つのお話を作り、2年目以降はそれをさらに発展させて行きました。<br />&nbsp;<strong><br /><br /></strong></p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="366" width="550" alt="ICC_idea.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ICC_idea.jpg" class="mt-image-none" style="" /><span style="font-size: 80%;"> ICCのデザイン展開を依頼されたのは、オープンまで１ヶ月もない時期だった。驚異的なスピードでアイデアを形にしていった</span></form><p><br /><strong><br />―　カレンダーは毎年新しいチャレンジをしてもらいました。</strong><br /><br />ICCのカレンダーですから、毎年必ず何か新たなクリエイティブ・チャレンジをすることを自分に課しました。新しいカタチや仕掛けです。アニメーションするとか、パタパタ開いていくとか。「使いづらい」という感想をいただくこともありましたが、それでもチャレンジをしようと。<br /><br /><br /><strong>―　とにかくチャレンジをしないとダメですね。賛否両論があるのは当然だと思います。私はアートディレクターはあまり替えない方が良いという考え方なので、ICCのデザインワークは一貫して前田さんにお願いしてきました。付き合いも長くなりましたね。</strong><br /><br />こればっかりはクライアントの考え方次第なので、久保さんがそうした考えの持ち主だったことはとても幸運でしたし、ありがたく思っています。私も久保さんと同じ考え方で、やはりアートディレクターはポンポン替えるのではなく、長く担当するほうがクライアントに良い影響を与えられると考えています。特に、ブランド形成とかブランドイメージの蓄積という面では「積み重ね」が大事ですからね。実はそのあたり、大学院の研究で、いくつものケースをリサーチしました。<br /><br /><br /><strong>―　ICCのデザインワークの集大成ともいえる作品集を昨年発行されましたが、前田さんの作品集であると同時にICCの歴史もそこには記録されています。これを見た人は皆一様に唸ります。</strong><br /><br />表紙から最後のページまで「&times;」だらけですからね。見る方もしんどくなって唸るのでは。いや、良い思い出を作れました。（笑）<br />中長期にわたる時間軸を視野に入れた上で、継続的・発展的に展開していくクリエイティブの考え方の表現形を、僕なりの具体例としてまとめることができたとは思っています。<br />ICCウェブサイトでも、<a href="http://www.icc-jp.com/anniversary/archives.php">ブログ「&times;10」のコーナー</a>で紹介しています。<br /><br />&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="366" width="550" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ICC.jpg" alt="ICC.jpg" /><span style="font-size: 80%;"> 昨年発行した「Hiroshi MAEDA &times;　ICC」。</span><span style="font-size: 80%;">ICCのデザインワークの集大成ともいえる</span><span style="font-size: 80%;">記念碑的な作品集となった</span></form><p><br /><br /><strong>―　ICCのオープンが2001年、同じ年に札幌ADC（札幌アートディレクターズクラブ）も発足していますね。前田さんは札幌ADCの立役者でもあるわけですが、そのお話をしていただけますか？</strong><br /><br />札幌ADCの発足には、たくさんのクリエイターが準備に関わって、一緒に汗を流すことでこぎつけたものなんです。その発起人メンバーの中で、僕と寺島賢幸（<a href="http://www.tera-d.net/">寺島デザイン制作室</a>代表）は、せいぜい「言い出しっぺ役」みたいなところでしょうか。寺島には人望があったので「声かけ担当」、僕は文書作成が得意だったので理念や組織、活動のアウトラインを起案して書いたりと、自然とそういう役回りになりました。<br />そもそもの発端は、寺島と一緒に世界ポスタートリエンナーレから帰ってくる飛行機の中での会話でした。そのトリエンナーレで、世界のもの凄い刺激に満ちたポスターたちを生で見て興奮していたのと、その中に僕らの選ばれた作品も並んでいて誇らしかったのと、札幌のみんなにもこんな体験をしてほしいなという思いとがぐるぐる回って。<a href="http://www.toyama-adc.com/">富山ADC</a>を立ち上げた、<a href="http://www.d-net.jp/">はせがわさとし</a>さんに会って背中を押されたというのもあるのですが、札幌にはレベルの高いデザイナーがたくさんいるし、そうした人たちが集まって交流し、切磋琢磨することができれば、世界に目を向け通用するデザイナーだってもっと出てくるはずだと。そこに新しい人材も加わって、札幌のクリエイティブレベルがさらに上がっていくような循環になればいいなと。そういう環境が札幌にはなかったので、ないなら自分たちで作ろうよってことです。<br /><br /><br /><strong>―　自分たちで切磋琢磨できる場を作ろうと？</strong><br /><br />スポーツだって草大会や地方大会があって、国体があって、世界大会があるから目標が見えるし、上を目指してトレーニングしていけるじゃないですか。だから札幌ADCは「クリエイターの放課後の部活」で「地域のクリエイティブ運動会」なんです。毎年9月の連休にクリエイターが作品を持ち寄って、みんなが見ている完全公開の中で審査会を行います。「異様」とも思えるほどの熱気に包まれるんですよ。プロのクリエイターを目指す学生達もボランティアや見学で大勢集まります。そして、そこで選ばれた優秀作品を集めた年鑑を毎年発行しています。<br />ここ数年は毎年、札幌ADCの熱気を聞きつけたクリエイターのグループが、大阪や広島、九州、東北など、全国各地から視察にやってきます。「札幌モデル」が参考になっているかどうかはわかりませんが、着実に全国各地に地域ADCが生まれ、広がっています。<br /><br />&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="366" width="550" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ADC.jpg" alt="ADC.jpg" /><span style="font-size: 80%;"> 前田さんが設立に尽力した「札幌アートディレクターズクラブ（ADC)」は、奇しくもICCと同じ2001年に発足</span></form><p><br /><br /><strong>―　札幌ADCの活動のおかげで、国際コンペでも数多く札幌のデザイナーが受賞するようになり、改めてその実力の高さが証明されたことはとても大きな成果だったと思います。最近の動きはどんな感じですか？</strong><br /><br />まだまだ一部だとは思いますが、それでも世界大会で表彰台に上がったり、入選したりするクリエイターが続々と生まれていて、人数としてはすでに二桁にはなっています。日本では、世界大会で選ばれるデザイナーの数が東京に次いで札幌が多いです。大阪や名古屋より多いんですよ。寺島がいて、<a href="http://www.homeinc.jp/">ワビサビ</a>の二人がいて、ワルシャワ国際でゴールドをとった<a href="http://www.mosslinkage.com/file/meya_yumiko/">目谷裕美子</a>さんや、ラハティー国際でメダルをとった<a href="http://www.mosslinkage.com/file/yano/">矢野佳糸美</a>さんがいて、近年ブレークした<a href="http://www.icc-jp.com/features/2010/01/000739.php">岡田善敬</a>くんや<a href="http://www.mosslinkage.com/file/kamada_junya/">鎌田順也</a>くんがいて・・・と、そんな凄い人たちがいる同じ街に僕もいるんだっていうことがすごくうれしいし、誇りに思います。<br />そのようになってきたのには、クリエイター側にちょっと変化があるなと思う点もあります。誤解を恐れずに言うと、札幌のデザイナーが東京的な伸し上がり方を身につけてきたというか・・。<br /><br /><br /><strong>―　それはどういうことですか？</strong><br /><br />札幌ADCの審査会は、日本のトップクリエイター達に審査員を担当していただくのですが、彼らは「エライ先生」として来るのではなく、同じクリエイター仲間として応援しにやって来てくれるのです。だから、審査会が終わった後は、みんなで明け方まで飲み明かすことになり、地元の大勢のクリエイター達はめちゃくちゃ栄養をもらうわけです。<br />東京はやはり競争が激しいので、そうした中で伸し上がるために、トップクリエイター達はものすごく努力しています。自主制作、自主プレゼンをとにかく積極的にやっています。売り込みの努力が半端じゃなく、賞もどん欲に狙っていく。ネタやクライアントがないなどと言うのではなく、ないならば、親戚や友人・知人、行きつけの店などに協力してもらって、店のポスターを作らせてもらってコンペに出品するとか、ネタを自ら見つけてきて作品を作っているのです。<br />一方、札幌のデザイナーは仕事としてクライアントから発注されたものしか作らないことが常識になっていて、そういう案件がないと、「ネタがないから作れない」とか「クライアントの理解がない」というのを言い訳にしてきた面があります。<br />それが札幌ADCで知り合ったトップクリエイター達のやり方を知り、「そうか、その手があったのか」と気づき始めたのです。<br /><br /><br /><strong>―　自分の周りの人に協力してもらって、ポスターとかチラシとかを作らせてもらって、それを出品する人が増えているのですか？</strong><br /><br />増えていますよ。とにかく作って発表しないことには何も起きませんから、「目から鱗」状態だったと思います。親戚、友人・知人、行きつけの店などを当たれば、誰だって、まず数件は協力が得られるでしょう。クリエイターの側は協力してくれる店のポスターやチラシなどを作ってコンペに出品し、賞を狙う。一方、協力する側も、普段は費用の面などでプロモーションツールは作れないけれど、その話に乗ることでそれらが手に入りますから、双方のメリットが一致するわけです。しかも、普段プロモーションをしていない規模の小さな企業や店舗なら、効果がとてもわかりやすいという利点があります。もしも売上が上がったら、それは作った広告やツールによる効果が主因なので、クリエイターにとってもそれは成長の糧になると思います。<br />「賞狙いの姑息な手段」とか「卑しい動機だ」と言う方も当然います。でも、僕はそんな「ヨコシマ」な動機こそパワーだと思うんです。それに、身内ネタでも何でもいいから「今の自分が信じる、良いと思われるものを、思いっきり」作ってみることは、間違いなくクリエイティブのトレーニングになるし、身内であっても相談し説得する行為はビジネスの交渉練習にもなりますよね。自主制作は、プロスポーツ選手の自主トレと同じです。<br /><br /><br /><strong>―　大企業のデザインを手掛けることがデザイナーのステイタスだという価値観が強いのだと思いますが、道内は殆どが中小企業ですね。プロモーションしようにもできなくて困っている会社や店舗はたくさんあるのでは？</strong><br /><br />ビッグクライアントのビッグキャンペーンを手掛けたい気持ちはわかります。僕も20代・30代の頃はそうでした。ただ、これははっきり言えることですが、デザイナーやクリエイターが個人の力で解決できるのは、中小規模の企業に対してであって、本当に大規模な企業のビジネス課題に対しては、やはりクリエイターだけでは力不足です。大手の代理店などが編成する、クリエイティブ以外のいろんな専門職種を含めた大きなチームワークがふさわしい。さて、自分はどこのところで役に立てるだろうか。そこは認識する必要があると思います。<br />大学生の就職問題と同じで、大企業は人気があって、人材もリソースもあふれるぐらい集まってくるけれど、中小企業では不足していて困っているところが多かったりします。人気の大企業は大手さんにおまかせして、フリーランスのクリエイターや小規模なプロダクションは、もっと地場の中小企業に目を向けても良いのではないかと思います。<br /><br />&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="366" width="550" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/work.jpg" alt="work.jpg" /><span style="font-size: 80%;"> 「地場クリエーターはもっと地場産業の力になれるはず」。地場企業の活性化は前田さんにとって大きなテーマだ</span></form><p><br /><br /><strong>―　そうしたマッチングがうまく行けば産業や地域の活性化につながるし、札幌にデザイナーやクリエイターが集積している意味も高まりますね？</strong><br /><br />そう思います。景気が悪くなって、デザイナーやクリエイターは花形職業ではなくなりました。東京資本の露出度の高いビッグキャンペーンで一攫千金、なんてこともほぼありません。もっと足元を見て仕事をする必要がありますよね。地場の中小規模の会社やお店ならば、一緒に考え、一緒に作り、一緒に商品を売り、売れるようにしていく関係が期待されるでしょうし、地場のクリエイターが地場産業に対して力になれることはたくさんあると思っています。<br /><strong><br /><br />―　前田さんご自身の現在の関心もそういうところにあるのですか？</strong><br /><br />中には、「商品が売れさえすれば、他はどうでもいい」といった考えをする経営者もいますが、それは極論ですよね。極論って全ての可能性を排除しちゃうことなので、僕は大嫌い。一方で、クリエイター側が「デザインは良くしたいけど、売れるかどうかは私には関係ないこと」と割り切っちゃうのもどうかと思う。デザイナーであれば、例えば「カッコ良くて、売れるもの」の両立を目指すべきだし、自分はそうありたいと思っています。そうすると、デザインだけを担当するのではなく、企業の経営戦略やブランディングに近い部分から入って、経営者の方と一緒に価値を創り出せるような仕事をしたいと思うわけです。それで、2002年から2年間、デザインの仕事を半分休んで、<a href="http://www.hokudai.ac.jp/lang/imc/">北大の国際広報メディア研究科</a>という大学院で研究生活を送りました。2001年に札幌ADCを立ち上げて一段落した一方、凄くレベルの高いクリエイターたちと出会って、「クリエイティブじゃ、かなわないな」みたいな半ば挫折感と、「もっとがんばらなきゃ」みたいな気持ちとが両方出てきて。当時から興味のあった、ブランディングや企業の経営課題として、デザインワークやデザイン組織を有効にマネジメントするにはどうすればよいか、を研究テーマにしました。デザイン論でもクリエイティブ論でもなくて、組織論やマネジメント論の方です。もともと経済学部出身ですし。<br /><br /><strong><br />―　大学院の研究生活はどんなものでしたか？</strong><br /><br />それはもう、毎日20代の学生達と一緒ですから、青春を謳歌しました。（笑）<br />それはそれとして、研究の背景に、僕が持っていた根本の問題意識は「クリエイター語」と「経営者語」の言語体系が違っているために、僕たちクリエイターと経営者の方々の間では、言葉が通じない、話がかみあわない、会話が成立しないということだったんですね。通訳なしで対話が成立しないことには、本当の意味で一緒に仕事はできないわけです。双方が片言でもいいから理解し合える「共通語」を探り、体系化できないだろうかと。<br />それで小早川護教授（現 名誉教授）に担当教官をお願いしました。小早川先生は元は野村総研の常務だった方で、「24時間戦えますか」時代を築いた企業戦士、バリバリの「経営者語」の人です。しかも「デザインやアートは全くわからん」と言い切るほどの強敵。（笑）　「この人に通じる言語をあみ出せば、万事解決。一丁上がり！」と思ったのです。もちろん、そんな簡単なことではなく、修了後も公私にわたって継続的にお付き合いいただき、今でも面倒を見てもらっています。体の動かし方、頭の回し方、心の配り方、それら全てが質・量ともに半端じゃない人で、教わることばかり。人間として本当に尊敬しています。<br />先生の人脈で、日本を代表する数々の大企業の組織リサーチや役員クラスの方々へのインタビューもでき、ついでにお酒もずいぶんご馳走になりました。（笑）　やはり、そういう企業は考えも進んでいるし、地方の中小企業であっても学ぶべきことは多いです。そんな経験ができましたので、地場クライアントの経営により近いポジションに身を置いて、経営に有効に機能するデザインを創造し役に立ちたいという志向が、より明確になりました。<br /><br />&nbsp;</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="383" width="550" alt="maedasan.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/maedasan.jpg" class="mt-image-none" style="" /><span style="font-size: 80%;"> 20余年のキャリア、大学院での研究成果を活かし、熱き想いをもつ企業経営者とともに、新しい価値の創造をめざす</span></form><p><br /><strong><br />―　現在はそうした仕事ができていますか？</strong><br /><br />大学院に入る前と後では、クライアントの構成がガラリと変わりました。一番大きく変わったのは、エージェントの下請仕事がなくなったことです。まぁ、２年間も仕事を休んだので、それまでお付き合いいただいていた代理店もさすがに切りますよね。（笑）<br />その代わり、規模は決して大きくはないかもしれないけれど、すばらしい想いと熱意を持って、真剣に取り組んでおられる地場の企業経営者の方々と直接、一緒に仕事をする機会が得られました。業種は様々です。通信販売の企業もあれば、ものづくり系も食品系もあり、牧場やチーズ工房、商店街や個人商店の場合もあります。トップの意思決定ができる人と一緒に、商品やサービスのアイデアを練り、コスト計算もし、販売戦略を立て、売れる商品やサービスのデザインを考えています。<br /><br /><br /><strong>―　それは意義深い仕事ですね？</strong><br /><br />企業の経営は常に短期的に答えを出さなければならない課題と、中長期的に対応していくべき課題の両方を同時に抱えています。エージェントを介した仕事の場合、どちらかに大きく偏っている場合が多いのですが、直接クライアントと仕事をし、経営に近いところに身を置くことで、短期と中長期の課題のバランスを考えながらデザインワークやブランディングをすることができます。<br />クライアントの規模が大きくなくても、クリエイターにとって見れば地味とも思えるような露出の少ないプロジェクトであっても、やりがいのある仕事だと思っています。<br /><br /><strong><br />―　</strong><strong>とても元気が出てきます。札幌には優秀なデザイナーやクリエイターがたくさんいますから、そうした皆さんにもぜひ知ってほしい話がたくさんありました。今日はありがとうございました。</strong><br /><br /><br />-----------------------------------------------------------------------------------------------------<br /><strong><span style="font-size: 120%;">■クリエイティブディレクター／デザイナー　　前田弘志</span></strong><br />（バナナムーン・ステュディオ　代表）<br /><br />（ICC「&times;10」） <a href="http://www.icc-jp.com/anniversary/archives.php">http://www.icc-jp.com/anniversary/archives.php</a><br />（moss linkage） <a href="http://www.mosslinkage.com/file/maeda/">http://www.mosslinkage.com/file/maeda/<br /></a>（札幌ADC） <a href="http://www.sapporo-adc.com/">http://www.sapporo-adc.com/</a><br />-----------------------------------------------------------------------------------------------------<br />聞き手　　久保　俊哉 （<a href="http://www.icc-jp.com">ICC</a> チーフコーディネーター）<br />構成・文　佐藤　栄一 （<a href="http://www.planners-inc.jp">プランナーズ・インク</a>）<br />写　真　　 山本　顕史 （<a href="http://harebare.co.jp/">ハレバレシャシン</a>）</p>]]>
        
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    <title>新春特別対談  クリプトン・フューチャー・メディア　　代表取締役　伊藤博之さん</title>
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    <published>2010-12-31T15:00:00Z</published>
    <updated>2011-01-07T06:42:17Z</updated>

    <summary><![CDATA[          &nbsp;　幅広い層から熱狂的に支持され、爆発的なヒットを...]]></summary>
    <author>
        <name>ICCサイト管理者</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.icc-jp.com/special/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="560" alt="ito_top.jpg" class="mt-image-none" style="" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ito_top.jpg" /><br />     <br />     <div class="ito" id="other_files">&nbsp;　</div></span><p><br />幅広い層から熱狂的に支持され、爆発的なヒットを記録したDTMソフト「<a href="http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp">初音ミク</a>」。<br />その開発・販売会社であり、設立以来、一貫して音にかかわるビジネスを展開してきた<a href="http://www.crypton.co.jp/">クリプトン・フューチャー・メディア（株）</a>の伊藤博之氏に、ICCの久保俊哉チーフコーディネーターがインタビュー。<br />「初音ミク」開発の舞台裏から創造都市SAPPOROへの提言まで、2011年の幕開けにふさわしい、情熱あふれるインタビューをお届けする。　<strong>&nbsp; （聞き手：ICCチーフコーディネーター　久保俊哉）</strong><br />------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------<br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>クリプトン・フューチャー・メディアは「初音ミク」を開発した会社として今やすっかり有名になりましたが、改めて会社のプロフィールからお聞かせいただけますか？</strong><br /><br />会社設立から16年目になりますが、一貫して音を売る商売をし続けています。音といっても、音楽ではなく、扱っているのは音の素材です。効果音とか、様々な楽器の音とか、音素材にも色々なものがありますが、映像やゲームなど、何らかのコンテンツを作る際に使われる音を提供しています。そういう意味では、「コンテンツを作るためのコンテンツ」を作っている会社といったところでしょうか。<br />私自身は大学の職員として働いていて、音楽は趣味でやっていました。キーボードで色々な音を創り出して楽しんでいたのですが、そのうちに、とても自慢したい音や気に入った音が出来てきました。ちょうどその頃、たまたま書店の洋書コーナーで見つけた「KEYBOARD」という米国の雑誌を見て、その雑誌に安く広告を出せることを知って、「自慢の音を売ります！」と広告を打ったのが今の会社のルーツですね。たぶん、1988年か89年頃の話です。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>その広告の反響はいかがでしたか？</strong><br /><br />儲けは出ませんでしたが、広告費は出るくらいの成果はありました。当時は電子メールがまだ普及していなかったので、コンタクトはFAXかエアメールでのやり取りでしたが、1日に2~3通は注文や照会がありました。米国の雑誌は読者がワールドワイドなので、色々な国の人と接点ができて、それは面白かったです。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>どんな音源が売れたのですか？</strong><br /><br />効果音やSF的なイメージの音、歌舞伎や琴の音色が入ったものなどが良く売れましたね。やはり、地域性やオリジナリティの高いものが売れたと思います。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>音は目に見えないものなので、広告を打つのも大変だったのでは？</strong><br /><br />そこはずいぶん考えました。「琴」「KABUKI」のように、字面から音がイメージできるようなキャッチを考えて広告を出しました。いま考えるとよくやっていたなぁと思いますが、当時はそれが楽しかったのです。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>そのビジネスがクリプトン・フューチャー・メディアの設立につながっていったのですか？</strong><br /><br />音源を販売しているうちに、「自分の音を売ってほしい」というリクエストが来るようになったりして、これはちゃんと会社を作って対応するしかないと思い、1995年に法人化しました。<br />転機になったのは、ケータイの着メロ用に音源を提供しはじめた2001年頃でしょうか。<br />その時点で、約100万件の音源をデータベース化していましたが、その中からケータイ着メロ向けに300～400ほどの音源を選んで１個10円で提供しました。そうすると、ダウンロード件数がウナギ登りに増えていって、「これは美味しいビジネスだ」（笑）とわかって、サービスを拡張していきました。<br />それまで、音源はプロ向けに販売していたのですが、ケータイ着メロ音の提供を始めたことで普通の人にも音を売れるようになり、さらに、音源の提供方法もパッケージ販売型からデジタル配信型へと転換させる転機になりました。<br /><br />&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="366" width="550" style="" class="mt-image-none" alt="ito_01.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ito_01.jpg" /><span style="font-size: 80%;">&nbsp; 伊藤博之氏（左）とICCの久保俊哉チーフコーディネーター。二人の熱い会話は2時間にも及んだ</span></form><p><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>それが「初音ミク」の開発につながったのですか？</strong><br /><br />その頃、コンピューターのスペックが上がってきていたので、virtual instrumentといって、コンピューター上に楽器を再現できるソフトを取り扱いしはじめました。<br />オーケストラや民族楽器などの生楽器を使った曲を低コストで作れるので、このソフトはゲーム会社などに良く売れました。<br />また、人の声というのも一種の楽器みたいなものなので、YAMAHAが開発した「<a href="http://www.vocaloid.com/jp/index.html">VOCALOID</a>（ボーカロイド）」という音声合成エンジンを使った「<a href="http://www.crypton.co.jp/mp/do/prod?id=25220">MEIKO</a>」という歌を唄うソフトも2004年11月に発売しました。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>「MEIKO」の反響はどうでしたか？</strong><br /><br />まず、「MEIKO」の開発にあたって、&ldquo;ヴァーチャル・シンガー&rdquo;みたいな月並みな商品名にしたところで一体誰が買うだろうか？と社内でも議論になり、もっとグッと来るネーミングや商品化のアイデアを出そうということになりました。色々と検討した中で、「中に人がいて歌ってくれる」というコンセプトはどうか？というアイデアが出てきて、マンガのキャラクター的なイメージでインパクトが出すことにし、パッケージにもアニメの絵を描いて商品化しました。<br />実際に売ってみると、この手のソフトは売れても1,000本くらいのところを、「MEIKO」は3,000本くらい売れ、ニーズは確かにあるという手応えをつかみました。<br />ただ、それまで音楽系のソフトはクールでカッコ良いのが当たり前だったので、アニメの絵が描かれた「MEIKO」は思い切り失笑を買いました。カッコよさを大事にするミュージシャンなどにしてみれば、「何てことをしてくれたんだ」と思ったはずです。（笑）<br />たしかに失笑は買いましたが、市場の動向やニーズがわかり、この路線で行くのがベストだと思えるようになりました。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>そこで得た色々な手応えが「初音ミク」の開発につながっていったのですね？</strong><br /><br />「MEIKO」の販売を通じて得たマーケット分析の結果から、もっと個性的で細部にこだわった商品を作ろうと決めました。音声部分にはプロの声優を起用し、イラストもテクノロジー感があって、かつ、あまり「萌え」の要素が強過ぎないタッチのイラストレーターに依頼するなど、とにかくこだわって商品開発を進めました。<br />こうして出来たのが、「<a href="http://www.crypton.co.jp/vocaloid">キャラクター・ボーカル・シリーズ</a>」の第１弾、「<a href="http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp">初音ミク</a>」です。<br /><br />&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="413" width="550" style="" class="mt-image-none" alt="hatune.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/hatune.jpg" /><span style="font-size: 80%;">&nbsp; 初音ミクのWebサイト　</span><a href="http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp"><span style="font-size: 80%;">http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp</span></a></form><p><br /><strong><br /></strong><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>「初音ミク」はすごい反響ですが、それは予想通りだったのですか？</strong><br /><br />まず、発売前からブログで事前プロモーションを始めて、情報を小出しにしていきました。「MEIKO」には3,000人くらいのユーザーがいたので、新しいキャラクターを使った新商品が出ることを告知し、「レコーディング終了」とか、何か動きがある度に情報を出して、場を盛り上げていきました。これがうまくいって、動画共有サイトなどでも話題になり、発売は2007年8月31日だったのですが、発売前に数百件の予約がありました。<br /><strong><br /><br /></strong><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>それにしても、「初音ミク」は何といってもあのキャラクターが爆発的な人気になりましたね？</strong><br /><br />「このキャラクターを使ってアニメーションを作って良いか？」とか「自分のブログに載せたいがOKか？」とか、ものすごい数の問い合わせが来ました。これがあまりにも多かったので、キャラクター利用についてのガイドラインを作ることにしたのです。これが「<a href="http://piapro.jp/">ピアプロ・キャラクター・ライセンス(PCL)</a>」というもので、非営利かつ無償の場合は当社キャラクターの二次創作物の利用を許諾することにし、いちいち問い合わせなくても使って良いことにしました。利用を認めることで創作活動の幅が広がってくれれば良いという考えからです。また、現実には非営利であっても、材料費程度の対価をもらって創作をするというケースはあるだろうということで、「ピアプロリンク」というルールを別に作り、非営利かつ有償の場合も、別途申請をしてくれれば二次創作を認めています。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>二次創作についても権利をしっかり確保してビジネスにしようとするのが普通の考えだと思いますが、それとは正反対のやり方ですね？</strong><br /><br />その通りですね。ただ、私はクリプトン・フューチャー・メディアの立ち位置は &ldquo;メタ・クリエーター&rdquo;、つまり、「クリエイターがクリエートしやすい環境を作る会社」だと考えているのです。「ピアプロ」のような仕組みは、ビジネスの面では一銭の得にもならないかも知れませんが、そうしたこともするのも、この立ち位置ゆえのことです。たくさんのユーザーやクリエイターに、作品発表の出口を作ることはとても重要なことです。一方、商用利用の場合は通常どおり契約を交わし、一緒にビジネスを作っていこうというスタンスです。<br />また、誰かが作った詞に別の誰かが曲を付け、「初音ミク」に歌わせたアニメーションを公開するといったように、クリエイター同士が連携できる「ピアプロ」のような仕組みも提供しています。<br />このように「初音ミク」は、新たなクリエイションがたくさん生まれ、つながり、広がるためのプラットフォームの役割も担っています。<br />&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="366" width="550" style="" class="mt-image-none" alt="hatune_goods.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/hatune_goods.jpg" /><span style="font-size: 80%;">&nbsp; CD、ゲーム、グッズなど、「キャラクター・ボーカル・シリーズ」から多くの商品展開が進んでいる</span></form><p><br /> <br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>メディアでも報じられましたが、<a href="http://www.city.sapporo.jp/kikaku/citypromote/kyoutei.html">札幌市ともシティプロモーションの面で提携</a>されましたね？</strong><br /><br />昨今、ソーシャルメディアの存在感がとても大きくなっています。例えばFacebookは6億人近いユーザーがいますが、人口6億以上の国といえば、インドと中国しかないわけで、ソーシャルメディアはそれくらい大きな規模になってきました。地域振興のために、自治体がこのネットワークを使わない手はありません。札幌のリアルな人口は190万人ですが、ネットを通じて札幌を発信することで、札幌が好きな人、札幌に来たい人、札幌に住みたいと思う人たちを集め、彼ら&ldquo;フォロワー市民&rdquo;を数百万人集められれば、それを札幌の底力にできるはずで、画期的なことになるでしょう。そうしたことのお手伝いをできるのではないかと考えています。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>具体的にはどのようなことをされるのですか？</strong><br /><br />地下鉄さっぽろ駅と大通駅をつなぐ<a href="http://www.city.sapporo.jp/sogokotsu/umall/shisaku_fram.html">地下歩行空間</a>が3月にオープンしますが、北2条に設置されるデジタルサイネージを使ってCGMプラットフォームを作ります。これは、「コンテンツを作るためのコンテンツ」というべきものです。例えば、<a href="http://www.scu.ac.jp/">札幌市立大学</a>の学生がここに流すためのコンテンツを当社が提供するAPIで取り出して加工し、新たなコンテンツとしてサイネージに発信できる仕組みです。こうして、どんどん新しいコンテンツが札幌から生み出され、発信されていく仕組みを作り、創造都市SAPPOROを世界に向けて発信するお手伝いをしたいと思っています。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>そうやって、札幌の街が元気になると良いですね？</strong></p><p><a href="http://www.icc-jp.com">ICC</a>、<a href="http://sapporoshortfest.jp">短編映画祭</a>、<a href="http://www.city.sapporo.jp/sogokotsu/umall/shisaku_fram.html">地下歩行空間</a>など、札幌にクリエイティブの歯車が揃ってきた感があります。現在はその歯車がかみ合うまでの待機状態かもしれません。如何にそれぞれの歯車を回しつつ、大きな動力にしていくかが課題で、それが上手くいった時、札幌は大変面白い街になるのではないでしょうか。<br />アジアの小国・ブータンはGDPではなく、幸福の極大化を国の目標にするという意味でGNH（Gross National Happiness：国民総幸福度）という指標を採用しているようですが、北海道もGRC（Gross Regional Creation：道民総創造）とかGRE（Gross Regional Empathy：道民総共感）とか、新たなバリューに基づく指標を作って公表したら面白いかもしれませんね。環境や快適性で評価の高い札幌ですから、きっと高い値が出ると思いますし、そのためにやるべきことは山ほどあると思います。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>聞いているだけでワクワクしてきます。最後に、今後のビジネス展開についてお聞かせいただけますか？</strong><br /><br />人類が経験した革命は３つあると思います。１つは農業革命、２つめは産業革命、そして3つ目が情報革命です。情報革命はいま進行中ですが、webやtwitterやustreamなどで誰もが世界に情報を発信できるようになり、コミュニケーションのコストが劇的に低下しました。音楽の世界で活躍するために東京に出て行かなければならなかった従来のパターンを打開し、札幌にいても十分に活躍できるチャンスが得られるようになっているのです。地方の会社が作った「初音ミク」の音楽がオリコンで１位になることなど、情報革命が起こる前には考えられないことでした。このチャンスを生かして、どんどん札幌や北海道、そして地方から優れたクリエイションが生まれるよう、寄与できればと思っています。<br />さらに情報革命は、消費の対象を「スペック」から「共感」へと変化させ、価値観の変化をもたらしました。単にモノ（スペック）が良いだけではなく、スペックに新しいバリューを付け、それに対する共感こそが消費を誘発する要因になっています。<br />「初音ミク」がそうであったように、クリプトン・フューチャー・メディアは共感を生産し、共感が得られる商品づくりを目指していきたいと考えています。<br /><br /><br /><span style="font-weight: bold;">－ </span><strong>新しい年の幕開けにふさわしい、元気の出るお話です。本日はありがとうございました。</strong><br />&nbsp;<br />------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------<br /><span style="font-size: 120%;"><strong>クリプトン・フューチャー・メディア（株）　</strong></span><br /><br />WEBサイト　<a href="http://www.crypton.co.jp/">http://www.crypton.co.jp/</a><br />初音ミクWEBサイト　<a href="http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp">http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp</a><br />ピアプロ　<a href="http://piapro.jp">http://piapro.jp</a><br /><br />------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------<br />文・構成　佐藤栄一（<a href="http://www.planners-inc.jp">プランナーズ・インク</a>）<br />写真　　　山本顕史（<a href="http://harebare.co.jp/">ハレバレシャシン</a>）<br />&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>エベレスト登頂前　特別対談　　ソロアルピニスト　栗城史多さん</title>
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    <published>2010-08-30T06:42:05Z</published>
    <updated>2010-08-31T03:49:02Z</updated>

    <summary><![CDATA[          &nbsp;　 7月16日、Inter x cross Cr...]]></summary>
    <author>
        <name>ICCサイト管理者</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.icc-jp.com/special/">
        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="560" style="" class="mt-image-none" alt="kuriki_special01.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/kuriki_special01.jpg" /><br />     <br />     <div class="kuriki" id="other_files">&nbsp;　</div></span> <p>7月16日、<a href="http://www.icc-jp.com/">Inter x cross Creative Center</a>ではエベレスト遠征前の<a href="http://kurikiyama.jp/">栗城史多</a>さんに単独インタビューを行った。栗城さんは、日本人初となる単独無酸素での世界7高峰制覇を目指す。残すは世界最大の壁、エベレスト。8月にはエベレストに向け、日本を発ち、9月よりアタックを開始する。等身大の20代からエベレストへ挑戦するアスリートへと心身共に変化する最中に、その心中を語ってもらった。</p> <p><br /> <span style="font-size: 120%;"><strong>栗城史多　&times;　久保俊哉</strong></span><br /> <br /> 栗城さんの本音を引き出すのは、Inter x cross Creative Center チーフコーディネーター 久保俊哉。<br /> 栗城さんをコンテンツクリエイターとして早くより認め、Team Kuriki結成にも一役買った。</p> <p><img width="560" style="" class="mt-image-none" alt="kuriki_special05.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/kuriki_special05.jpg" /></p> <p><br /> 二人だからこそ語れること、栗城さんの原点、エベレストへのチャレンジについてほぼノーカットの映像としてお届けします。<br /> アルピニストであるはずの栗城さんが、何故、コンテンツクリエイターなのか？<br /> その疑問もきっと解決できるはずです。<br /> 他のメディアではなかなか味わえないクリエイターとしての切り口から栗城史多に迫る20分。<br /> <br /> 上部スライダーより「MOVIE」をクリックしてご覧ください！</p> <p><img width="560" alt="kuriki_special07.jpg" class="mt-image-none" style="" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/kuriki_special07.jpg" /></p> <p>エベレスト登頂に成功して無事戻ってくることを栗城さんは久保へと誓いました。</p> <p>&nbsp;</p> <p><span style="font-size: 120%;"><strong>インタビューを終えて</strong></span><br /> <br /> 今回の栗城さんのエベレストへのチャレンジは、様々な出来事の中で進んでいます。出発前の記者会見では、まだスポンサーからの資金が足りなく、現地からメールで打ち合わせをし、ロゴを出力してウエアーなどに貼るなど、地上面でも困難な壁との戦いでスタートしました。また、8月24日のチベット航空機の事故では、彼の大切な仲間のシェルパさんがお一人亡くなってしまいました。彼の心中は想像できないほど嵐のようではないかと思います。遺族の方や周りとの話し合いで、登頂を続行すると本人からも連絡をもらいました。ICCのメンバーもみんな応援しています。エベレスト登頂の生中継など世界初の試みもありますが、とにかく元気に帰ってきてくれることを願っています。</p> <p>&nbsp;</p> <p>チーフ・コーディネーター　久保俊哉<br /> &nbsp;</p> <p><br /> 登頂の模様は、USTREAMにて生中継されます。<br /> 栗城さんの雄姿を<a href="http://kurikiyama.jp/s_tv.html">コチラ</a>より応援しましょう！<br /> &nbsp;</p> <p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>新春特別対談　　デザインディレクター　ナガオカケンメイ氏</title>
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    <published>2010-01-01T04:56:07Z</published>
    <updated>2010-01-10T04:51:11Z</updated>

    <summary><![CDATA[デザインとリサイクルを融合した「D&amp;DEPARTMENT PROJECT...]]></summary>
    <author>
        <name>ICCサイト管理者</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.icc-jp.com/special/">
        <![CDATA[<p>デザインとリサイクルを融合した「D&amp;DEPARTMENT PROJECT」、地場の若い作り手とともに日本のデザインを正しく購入できるストアインフラ「NIPPON PROJECT」など、次々に新しい展開を見せてくれるナガオカケンメイ氏。D&amp;DEPARTMENT PROJECT SAPPORO by 3KGなどを通じて札幌や北海道にも縁が深い。昨年11月には日本をデザインの視点で案内するガイドブック「d design travel」を創刊、北海道が第一巻の舞台となった。 次々に展開される新しいプロジェクトの発想はどこから生まれてくるのか。ナガオカ氏と旧くから親交のあるICCチーフコーディネーター久保俊哉がその秘密の解明に挑んだ。&nbsp;</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="500" height="332" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/kenmeisan.jpg" style="" class="mt-image-none" alt="kenmeisan.jpg" /></span> <p>&nbsp;<strong>&minus;ナガオカさんの活躍ぶりは多方面にわたっていて、紹介するのが難しいのですが（笑）、簡単に言うと何屋さんということになりますか？</strong></p> <p>もともとはグラフィックデザイナーですが、いまは、デザインの領域でデザインを使って何かをするということが多いので、「デザインディレクター」ということになるでしょうか。 肩書きについては色々聞かれるのですが、自分では&ldquo;ビジョナー&rdquo;と名乗りたいですね。&ldquo;ビジョナー&rdquo;という肩書きは日本ではあまり聞かないと思いますが、例えば大阪万博は岡本太郎が一人いたことで成立したという意味で、彼は完全に&ldquo;ビジョナー&rdquo;ですよね。そいういう人を目指したいと思っています。目指しても簡単になれるものではないでしょうが、人格から含めてダイナミックにデザインに関係したいなと思っています。あまりいうと恥ずかしくなりますが。（笑）</p> <p><strong>&minus;長年、デザインの世界で活躍されてきて、十分にキャリアを積まれた今、ナガオカさんの目に見えていることはどんなことでしょう？</strong></p> <p>僕は学生の時に自分の目と耳と足でかなり色々なものを見ました。その時に見たものが今の自分のベースになっているように思います。 いま学校で教えているのですが、僕自身がそういう経験をしているので、「学生の時には学生らしく生活しろ、大人のマネはするな」と言っています。 学生たちは今、就職のことで頭がいっぱいです。特に、学校を卒業したら、デザイン事務所とか、その道の会社や業種に就職しなくちゃと思っている学生がほとんどなのですが、僕はとにかく「卒業したら、全く違う職業を経験しなさい」と言っています。それは、クリエイターになるなと言いたいのではなくて、Creationをしてほしいからこそそう言うのです。 デザイナーとかクリエイターは自由な職業だと思われがちですが、決してそうではありません。デザイナーの仕事というのは、社会から問題を拾って、それを解決することです。社会に対する解をしっかり持っていないとやっていけない職業だと思います。だから、そこを意識するために、どんな職業でもいいから一度は仕事に就いて、社会を知る必要があると思っています。 いま僕は44歳ですが、僕らの世代がこうしていられる土台を作ってくれた50代や60代の先輩たちともようやく対話ができるようになってきました。最近は、そうした先輩たちと若いデザイナーとの間に入って対話のつなぎ役をする立場も意識しています。たぶん、それは40代だからこそやらなくてはならない役割の一つだと思っています。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="500" height="328" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/kenmeisan4.jpg" style="" class="mt-image-none" alt="kenmeisan4.jpg" /></span> <p>&nbsp;<strong>&minus;D&amp;DEPARTMENT PROJECTやd design travelなど、ナガオカさんが手がけるものを見ると、いつもユニークなポジションというかセンスを感じるのですが、それらの発想はどういったところから出てくるのでしょう？</strong></p> <p>自分の特殊性は、ミーハーな部分にあると思います。（笑） ミーハーというのはすごく重要で、Creationには絶対に必要な要素です。 僕は北海道生まれの愛知育ちなのですが、ちょうど愛知で暮らしているときに、ロンドンを拠点にしているICAというギャラリーが日本に拠点をもっていて、それが幸運にも名古屋にあったのです（ICAナゴヤ）。 南條史生さんという優れたディレクターがキュレーションをしていて、僕は高校卒業後に飲食業をやりながらバイトでICAに通い、そこで目標を見つけました。僕の中にある美術館やグラフィック、ギャラリーなどの基本はそこにあります。 実際にロンドンに行って本家のICAを見て、バラックで学生食堂以下のような建物を使いながら、しっかりキュレーションされたギャラリーを目の当たりにして衝撃を受けました。日本の美術館のように立派なものを目指してはいないけれど、そこにはちゃんと本質があった。そういう空気感を日本でも再現できないかと思いました。それがD&amp;DEPARTMENT PROJECTにも生かされています。</p> <p><strong>&minus;D&amp;DEPARTMENT PROJECTではロングライフデザインを提唱されていますね？</strong></p> <p>はい。よく、「ロングライフデザインは生み出せますか？」と聞かれるのですが、僕は生み出せると思っています。ただし、ロングライフデザインには10の条件があると僕は思っています。その１つに「修理ができること」という条件があります。今まで僕らが使い続けているものは修理ができているから使い続けていられるわけで、新品と交換することが当たり前になっている今の商品は、なかなかこれをクリアできないでしょう。D&amp;DEPARTMENT PROJECTで扱っている商品は、この10項目に照らして、それをクリアするものを売っています。商品のメーカーに「ここが壊れたらどうするんですか？」と聞いて、修理できないものはその時点でロングライフデザインから外れてしまいます。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="500" height="332" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/kenmeisan6.jpg" style="" class="mt-image-none" alt="kenmeisan6.jpg" /></span> <p>&nbsp;&minus;<strong>今回d design travelを出した背景やねらいはどんなところにありますか？</strong></p> <p>日本中がデザインに関心を持ちはじめているのに、観光が若返っていないことに気づいたのです。 子どもからお年寄りまで、これだけデザインに囲まれて生活しているわけですから、知らず知らずのうちにデザイン的な感覚は植えつけられています。駅前の観光案内所に行って観光パンフレットを見るだけでも、そこにはデザインがしっかり生かされていて、イケてるデザインのものとそうでないものは誰の目にも明白で、無意識のうちにデザインレベルの高いパンフレットを手に取っているわけです。 そして、デザインに関心を持つ人は、現場を訪ねる旅をするときも、デザインの視点でその土地らしい宿やギャラリー、カフェや工房を訪ねます。 だとすると、いつまでたっても観光案内所やタクシーの中や旅館や飲食店が昔のままのデザインでいると、そこに人が行かなくなってしまうし、「あそこに置かれるんだったらモノを作らない」というような悪循環に陥ってしまいます。そこで、観光に関すること全体をデザインで底上げする必要があると思ったのです。そのためには、観光ガイドもこれまでのような情報満載のものばかりではなく、デザインに関心のある人たちがデザインの視点で選んだ情報が載っているトラベル誌、編集者の顔が見える旅の本があってもいいんじゃないかということで、とにかく一つ作ってみようということになりました。</p> <p><strong>&minus;d design travel誌の10ページに、掲載対象をどんな基準で選んだかが書かれています。「その土地らしさがあるもの」「その土地の人がやっていること」といった条件をつけていることや「継続性のないものはとりあげない」というロングライフデザインの視点が入っている点は素晴らしいと思います。</strong></p> <p>ありがとうございます。d design travelは、その土地らしさがあることを条件にしているので、第一号の北海道版では北海道らしいものしか選んでいません。東京を真似た旅館やカフェは掲載対象から外れますし、一見良さそうなところでも、「どこがこの土地らしいのか？」という視点で見ると、結局は違ったというケースもあります。</p> <p><strong>&minus;取材にあたって、「カメラは一般のものを使い、特殊なフィルターやレンズは使わない」というのも面白い条件ですね。これは、誰でもこの本を作るのに参加できるようにハードルを下げているのですか？</strong></p> <p>その通りです。デジカメも進化していて、今の人たちは一定以上の解像度で写真を撮ることが普通になっているので、いつでも雑誌に参加できるようにと思っています。おそらくあと2年もすれば、家庭用のプリンタで製本ができる時代になるでしょう。そうすると、PC上でこの雑誌のフォーマットを公開していって、自分でd design travel誌を製本できるようになると思います。そういったことも考えています。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="500" height="332" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/kenmeisan1.jpg" style="" class="mt-image-none" alt="kenmeisan1.jpg" /></span> <p>&nbsp;<strong>&minus;d design travelの第一号は北海道版だったわけですが、今後、他の地域でも展開されていくのですか？</strong></p> <p>そうです。20年くらいかけてやっと47都道府県できるかなという感じです。 たぶん全都道府県が完成する頃には僕も65歳くらいになっていると思います。（笑） 20冊くらい発行されたたところで、例えば北海道の誰かが北海道の分を月刊化してくれたりすると嬉しいですね。 実は先日、沖縄の人からこのd design travelの沖縄版が届きました。僕らはこの本の発行については、表紙のデザインから何からをブログで公開しているので、マネしようと思ったらできるわけです。それを見た沖縄の学生が、自分たちでd design travel沖縄を勝手に作って送ってきたのですが、なかなか面白い内容でした。 この手法は、僕らの年代でいえば、「ぴあ」に似ています。「ぴあ」は、あのようなフォーマットで情報を出すことのポテンシャルを証明しましたが、同時にスタイルの提案でもあったわけです。それはd design travelでも目指していることです。</p> <p><strong>&minus;d design travelを通じて、地域がデザインを考え直すきっかけになると良いですね。</strong></p> <p>&nbsp;今は東京からも、世界からも、情報がものすごいスピードでどんどん入ってくるので、影響されるスピードも速くなっています。その結果、自分らしくなくてもウケるものがすぐ手に入ればそれでいいじゃないかという風潮になって、デザイナーもその土地らしさをコンサルするのではなく、いかに流行ったものを早く取り入れるかを考えるようになってしまったように思います。 ファッションにしても、日本のDCブランドで生き残ったところは、結局自分たちらしさを持ったところだけでした。トレンドをいち早く吸収するのが今のファッションになっていますが、デザインも同じで、トレンドを吸収する業態になりつつあります。しかし、それではデザインもやがて崩壊してしまいます。 よく、「東京でできるCreationが地方に住んでいるとできない」などと言う人がいます。 しかし、地方ですごく成功していて、東京でも十分通用するレベルのクリエイターに時々出会うと、彼らは東京をベースにものを考えていなくて、どこに行っても自分は自分だし、デザインを生み出す思想を持っているので、どこにいても高いレベルのデザインを生み出しています。そういう人たちに活躍してほしいですね。&nbsp;</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="500" height="332" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/kenmeisan5.jpg" style="" class="mt-image-none" alt="kenmeisan5.jpg" /></span> <p>&nbsp;<strong>&minus;来年は2010年ということで、21世紀に入って10年目になりますが、自分が生きてきた時代から大きく何かが変るというような予感などはありますか？</strong></p> <p>おそらく、2010〜2012年頃までは僕らが思い描いていた未来が現実的にやってくると思います。リニアモーターカーは走らないにしても、電気自動車などはものすごい勢いで普及すると思いますし、そういう面では、僕らが30年くらい前に描いていた未来が次々に実現するでしょう。 そうした中で、「デザインするとは一体どういうことなのか？」を根本的に考えないといけなくなると思います。アートとか、メンタルな部分でのCreationもすごく重要になってきて、新しいデザイン的なカテゴリーとか業態が次々と生まれてくるような気がします。 細かいことを言えば、家庭用のプリンタが製本機能を持ったり、雑誌が10部や20部くらいでも機能するようになるかもしれない。 そんな考えから、d design travel も、雑誌、Web、アプリ、パーソナルなTV、そして場所という５つで改革していこうとしています。だから雑誌はその1/5でしかないわけですね。色々REMIXしながら、観光というものを若返らせていこうとしています。今まで組み合わせることがあまり考えられなかったものを取り上げるという、そういう発想力もクリエイターにはすごく重要になってくると思います。</p> <p><strong>&minus;とても良い話ですね。（笑）<br /> ICCのコンセプトにある「インタークロス」というのは「交配」を意味していて、この発想はいまのお話と同じだと思うんですね。まさにその新しい組み合わせを考える時に、人間性とか思いやりのようなものがコアになって、それをつなぐ道具がデジタルなのだろうという考え方です。</strong> &nbsp;</p> <p>きっと、デジタルのような表現が「体温」を持ち始めてくるのではないでしょうか。 頭の中にあるものを見せられたり、触れたりできる状態になってくるかもしれない。 そうなった時には、こうした雑誌だとか、今から何十年も前に僕らの先輩たちが作った媒体とかハードのあり方がガラっと変ってしまうでしょう。具体的にどんなことになるのかはわかりませんが、少なくともそうした変化に柔軟でないとダメだと思います。 自動車産業をみても、日本はいかに高性能なエンジンを作るかということでこれまで伸びてきましたが、モーターさえあれば誰でも車を作れる時代になっているのに、まだエンジンにこだわるのかと。車を作るベンチャー企業がすごくたくさん出てくるかもしれないし、3人くらいでテレビ局を開局するとか、今まで考えつかなかった様々なことが起きるでしょう。どういったものに価値観を見出すかという点については色々考えられるし、ワクワクしますね。</p> <p><strong>&minus;そういう変化の中でも、D&amp;DEPARTMENT PROJECT のように、物理的な場所や空間、ちゃんと足で立てるアナログな空間があることは大事ですね。 <br /> ナガオカさんはこういう次元の使い方がとても上手だと思います。戻れる場所があるとか、来るべき場所があるというのはすごく大切なことではないでしょうか 。</strong></p> <p>そう思います。今から20年くらい前に「バーチャル」という言葉がでてきて、未来像を予測していたそのバーチャルがこれからますます本格化していって、現実と仮想の２種類の世界をどう生きるか、どう両立させるかといったことで悩む時代が来るかもしれません。あまり考えたくはないですが、その時にもやはり現実的な場所の意味合いはとても重要になってくるし、戻れる場所とか自分のアイデンティティを感じられるような原点が重要になってくるでしょうね。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="500" height="332" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/kenmeisan3.jpg" style="" class="mt-image-none" alt="kenmeisan3.jpg" /></span> <p>&nbsp;<strong>&minus;最後に、今年、2010年の事業プランなどを教えてください 。</strong></p> <p>4月にd design travelの東京版を出す予定です。 ものすごい情報量を持った街、継続性があるのかないのかもわからない街、僕が今住んでいる街・東京を対象にしたトラベル本に挑んでみたいと思っています。 最近、やたらとロングライフデザインっぽい建物や店が多くて、一見、昔からあったように思えるほど巧妙なつくりのものも多いので、そこをしっかり見極めていきたいですね。日本のマーケティング力はすごいですから、騙されないようにしないと。（笑）</p> <p><strong>&minus;東京版のd design travelにも期待しています。今日はありがとうございました。</strong></p> <p><object width="498" height="280" type="application/x-shockwave-flash" data="http://flv-player.net/medias/player_flv_maxi.swf"><br /> <param name="movie" value="http://flv-player.net/medias/player_flv_maxi.swf" /><br /> <param name="allowFullScreen" value="true" /><br /> <param name="FlashVars" value="flv=http%3A//www.s-xing.jp/video_files/nagaoka.flv&amp;width=498&amp;height=280&amp;showfullscreen=1" /></object><br /> BGM：渡辺崇(Junkan Production)</p> <p><strong>■ナガオカケンメイ</strong> <br /> 1965年北海道生まれ　日本デザインセンター原デザイン研究室 (現研究所)を経て、drawing and manualを設立。2000年、これまでのデザインワークの集大成としてデザイナーが考える消費の場を追求すべく、東京・世田谷にデザインとリサイクルを融合した新事業「D&amp;DEPARTMENT PROJECT」を開始。02年には大阪・南堀江に2号店を展開。また同年より、「日本のものづくりの原点商品・企業だけが集まる場所」としてのブランド「60VISION」（ロクマルビジョン）を発案し、カリモクの60年代の廃番商品をリブランディングするなどのプロジェクトを推進。現在、地場の若い作り手とともに、日本のデザインを正しく購入できるストアインフラをイメージした「NIPPON PROJECT」を47都道府県に展開中。その第１号店として07年11月、北海道・札幌市に「D&amp;DEPARTMENT PROJECT SAPPORO by 3KG」をオープン。2009年11月、日本をデザインの視点で案内するガイドブック「d design travel」を創刊。 <br /> <a href="http://www.d-department.jp"> http://www.d-department.jp</a></p> <p>&nbsp;<strong>＜対談を終えて＞<br /> ICCチーフコーディネーター　久保俊哉</strong></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="500" height="332" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/kenmeisan2.jpg" style="" class="mt-image-none" alt="kenmeisan2.jpg" /></span> <p>&nbsp;ナガオカケンメイさんは会った瞬間から、「なにか人と違うな」という印象を持っていました。今回、対談してみてわかったのですが視点がユニークなのですね。そのユニークな視点をきちんとデザインできる、しかも実現できる。それがナガオカさんのすごいところだと思います。ちょっと先を行きながら、ちょっと前に見過ごした小さな良い物をちゃんと拾って再編集していける。可視化・価値化ができる、そんな才能の持ち主だと思います。ある意味トリッキーにも見えて、でも確信犯的な自信がみなぎっている。常に穏やかだけれど情熱と覚悟がある。そんなナガオカケンメイさんとの新春対談では、この一年の指針にもなるすてきな話を聞かせてもらいました。ICCは今年で10年目。これからの10年も多くのアイディアを熟成させていきたいなと改めて思いました。</p> <p>-------------------------------------------------------------------<br /> 文・構成　佐藤栄一（プランナーズ・インク）<br /> <a href="http://planners-inc.sblo.jp/"> http://planners-inc.sblo.jp/&nbsp;</a></p>]]>
        
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    <title>第4回札幌国際短編映画祭開催記念　俳優　ムン・ソリさん</title>
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    <published>2009-12-08T09:21:18Z</published>
    <updated>2009-12-09T07:22:34Z</updated>

    <summary>重度脳性まひの主人公を演じた『オアシス』。 鳥肌が立つほどの名演で第59回ベネチ...</summary>
    <author>
        <name>ICCサイト管理者</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.icc-jp.com/special/">
        <![CDATA[<p>重度脳性まひの主人公を演じた『オアシス』。<br /> 鳥肌が立つほどの名演で第59回ベネチア国際映画祭を魅了した。<br /> 韓国映画界きっての実力派俳優ムン・ソリさんが、<br /> 2009年10月に開催された札幌国際短編映画祭に審査員として来札。<br /> 貴重な短編映画出演エピソードや俳優業への思いをうかがった。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="332" width="500" alt="munsori_top.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/munsori_top.jpg" class="mt-image-none" style="" /></span> <p>&nbsp;<strong><span style="font-size: 120%;"><br /> <br /> 完成度の高さに驚き、札幌国際短編映画祭</span></strong></p> <p>2009年10月14日からの5日間、1万人近くの集客で盛況のうちに幕を降ろした<a href="http://sapporoshortfest.jp/">第4回札幌国際短編映画祭</a>。世界各国から集まるのは作品のみならず、審査員のボーダーレスな顔ぶれも毎年話題を呼んでいる。<br /> <br /> 今年、知的な美しさでひときわ注目を集めたのはこの方、韓国の実力派俳優ムン・ソリさん。「どの作品も完成度が高く、各賞に該当する作品を選ぶのはかなり悩みました」と審査の感想を語った。<br /> <br /> 代表作は、イ・チャンドン監督の『オアシス』（2002年）。重度脳性まひの主人公コンジュに命を吹き込んだ白熱の演技で韓国内の新人賞はもちろん、第59回ベネチア国際映画祭のマルチェロ・マストロヤンニ賞（新人演技賞）にも輝いた。このときムン・ソリさんは28歳。商業映画2本目にして「一生分の賞をもらってしまいました」と本人に言わしめるほどの栄誉を手に入れた。<br /> <br /> 出演作は多くはないが、&ldquo;出るべき映画&rdquo;を見ぬく目は確か。『オアシス』以降も傑作揃いのフィルモグラフィーがそれを証明する。&nbsp;</p> <p><img height="400" width="500" alt="moon-so-ri-award.jpg" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/moon-so-ri-award.jpg" class="mt-image-none" style="" /><br /> <span style="line-height: 120%; font-size: 80%;">ペ・ヨンジュン主演のドラマ『太王四神記』のカジン役でもおなじみ。『太王四神記』は09年11月2日からBShiで全24話アンコール放送。</span></p> <p><br /> <br /> <strong><span style="font-size: 120%;">新人監督、新人俳優が活躍する場を応援</span></strong></p> <p>商業映画デビュー作『ペパーミント・キャンディー』の後に、数本の短編映画に出演した。業界の知人友人に頼まれてということもあるが、基本は「作品のおもしろさ」で決める。新人監督が商業映画ではできないことに挑戦する意欲を後押しする。<br /> <br /> 「宇宙人の役をやったこともありました。参考にした映画がホラー映画だったからなぜかお化けみたいな格好をしたりして」と笑いながら思い出話を披露してくれた。<br /> <br /> そんな短編映画の現場も知るムン・ソリさんが、今回審査員の立場で見た各国の作品は「どれも傑作揃い」。取材は審査結果発表前に行われたため一つの作品に言及することは避けたが、上映作品全体の質には「商業映画と見劣りしませんね」と驚きを隠さなかった。<br /> <br /> 韓国では今も短編映画のオファーがあるが、安請け合いはしなくなった。「短編映画は監督だけでなく新人俳優にとっても大切な登竜門。その席に私が座り続けるわけにはいきませんから」。少ないチャンスを奪い合う映画界にいながら次の世代を思いやる発言に、俳優ムン・ソリの格を知る。</p> <p><img height="559" width="499" alt="Moon-So-ri-3.2.jpg" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/Moon-So-ri-3.2.jpg" class="mt-image-none" style="" /><br />     <span style="font-size: 80%;">映画祭会期中に行われたICCの単独インタビュー。どの質問にも通り一遍の文句ではない自分の言葉で答えてくれた。</span></p><p><span style="font-size: 120%;"><strong><br /> <br /> 「なぜ私が」葛藤の末に手にした世界の喝采</strong></span></p> <p>代表作『オアシス』に話を戻そう。ゆがんだ表情、硬直した手足。車いすの不自由な体の中に今にも爆発しそうな喜怒哀楽を内包する女性を演じた。<br /> <br /> 大学は教育学科に進学。週に一度ボランティアで脳性まひの生徒に勉強を教えていた。デビュー作に起用してくれたイ・チャンドン監督にそのことを話すと関心を示したのが、『オアシス』の始まり。脚本が出来上がり、監督が言った。「この役を喜んでやりたいと思う女優はいない。君はどうだ」。家で演技練習の様子をビデオ撮影する日々が始まった。<br /> <br /> モニターに映るのは美の化身である女優からは遠い姿。「なぜ私が」。いら立ちがつのり、逃げ出したくなることもあった。そこまで追いつめたのはイ・チャンドン監督。そこから引き上げてくれたのも同じ人物のこの言葉だった。「世間が思う美の概念を変えよう」。<br /> <br /> 韓国映画界はきらびやかな美男美女揃い。とても信じがたいことだが、ムン・ソリさん曰く母国での美女の基準から「私はハズれている」のだそう。監督はそこにこだわった。ムン・ソリさんが演じスクリーンに大写しになるのは、滑舌もはっきりせず、沸き上がる感情に不器用な仕草で身もだえる障害者。だがその心に抱く思いとは&mdash;。「『オアシス』を撮ることで&ldquo;本当の美しさとは何か&rdquo;を世間に問いかけよう」。監督の挑戦に共鳴した。<br /> <br /> そして葛藤の末に挑んだ冒険は映画さながらのおとぎ話のような結末に。世界が俳優ムン・ソリに喝采を送り、新しいスターの誕生を歓迎した。</p> <p><img height="400" width="500" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/oasis-main.jpg" alt="oasis-main.jpg" /><span style="line-height: 120%; font-size: 80%;">『オアシス』監督・脚本：イ・チャンドン　画像提供：シネカノン (C)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 電話をとる、口紅を塗る。健常者にはわからない主人公の動作はすべて演じるムン・ソリさんに一任された。</span></p>     <p><br />     <span style="font-size: 120%;"><strong><br />     俳優である前に一人の人間として生きる</strong></span></p> <p>2004年の出演作『大統領の理髪師』では、日本でもファンが多いソン・ガンホ氏と共演。助演の立場でアンサンブルの重要さを学んだ。「ソン・ガンホさんは演技の天才。口を開けば映画のことばかり。たくさんのことを教えていただきました」。</p> <p><img height="333" width="500" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/barber.jpg" alt="barber.jpg" /><br /> <span style="font-size: 80%;">『大統領の理髪師</span><span style="font-size: 80%;">』写真中央のソン・ガンホ演じる主人公の妻役を演じた。<br /> </span></p> <p>08年には、04年アテネオリンピックで銀メダルに輝いた韓国ハンドボール女子チームを題材にした『私たちの生涯最高の瞬間』に出演。国を背負うプレッシャーや世代交代のいさかいなどリアルなテーマをふんだんに盛り込んだ同作は、韓国映画初心者にもぜひすすめたい傑作。「たとえトップに立てなかったとしても汗を流してがんばった経験はかけがえのないもの。一生懸命打ち込む人たちの姿を見てほしい」。ムン・ソリさんをはじめ俳優たちの体当たりな熱演に笑って涙する。&nbsp;&nbsp;&nbsp;<br /> <br /> 撮影エピソードをうかがうと「現場にいたのは女優じゃなくてスポーツ選手ばかり（笑）。カットになったらメイクを直すより体を休めるのがせいいっぱいでした」。苦楽を共にした一体感が画面から伝わってくる。ムンソリさんの出演作『オアシス』『大統領&hellip;』『私たちの&hellip;』はどれも国内でDVD販売・レンタル中。未見の方はこれを機会にぜひ見てほしい。</p> <p><img height="332" width="500" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/Moon-So-ri-top.jpg" alt="Moon-So-ri-top.jpg" /><br /> <span style="line-height: 120%; font-size: 80%;">デビュー作『ペパーミント・キャンディー』と『オアシス』でタッグを組んだイ・チャンドン監督からは「人生について学ばせてもらいました」</span><br /> <br /> <br /> 主演・助演を問わず厚みのあるフィルモグラフィーにこれからどんな作品が加わるのだろう。「希望は特にありませんが、いい監督に出会えたら」。&ldquo;気になる日本の映画人&rdquo;に是枝裕和監督と寺島しのぶの名を挙げた。玄人好みの人選を聞き、いつか実現してほしい韓日のコラボに期待が膨らむ。<br /> <br /> 現在、35歳。10年後、20年後の演技が見たいと思わせる俳優だ。「これから一人の人間としてどう生きていくか。その生き方が自ずとどういう俳優になるかを決めていくと思います」。役を生きる以上に自分自身を生きている。</p> <p>&nbsp;</p> <p><object height="280" width="498" type="application/x-shockwave-flash" data="http://flv-player.net/medias/player_flv_maxi.swf"><br /> <param name="movie" value="http://flv-player.net/medias/player_flv_maxi.swf" /><br /> <param name="allowFullScreen" value="true" /><br /> <param name="FlashVars" value="flv=http%3A//www.s-xing.jp/video_files/munsori.flv&amp;width=498&amp;height=280&amp;showfullscreen=1" /></object><br /> BGM：渡辺崇(Junkan Production)</p> <p>&nbsp;</p> <p>-----------------------------------------------------------------<br /> 取材・文　佐藤優子　<br /> blog「耳にバナナが」　<a href="http://mimibana.exblog.jp/">http://mimibana.exblog.jp/</a></p> <p>&nbsp;</p>]]>
        
    </content>
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    <title>スペシャルインタビュー　札幌交響楽団コンサートマスター　大平まゆみさん</title>
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    <published>2009-07-10T06:14:20Z</published>
    <updated>2009-07-10T08:51:39Z</updated>

    <summary>      札幌交響楽団でコンサートマスターを務める大平まゆみさん。 その温かな...</summary>
    <author>
        <name>ICCサイト管理者</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.icc-jp.com/special/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img height="332" width="500" alt="ohira01-3.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ohira01-3.jpg" class="mt-image-none" style="" />
</span>
<p><a href="http://www.sso.or.jp/">札幌交響楽団</a>でコンサートマスターを務める大平まゆみさん。<br />
その温かなバイオリンの音色と素敵な笑顔は多くの人の心を魅了します。<br />
昨年は2枚のCDをリリースし、病院や福祉施設での演奏にも力を入れるなど、様々なシーンで音楽を提供されています。<br />
さらに、10月開催予定の<a href="http://sapporoshortfest.jp/">SAPPOROショートフェスト2009</a>（第4回札幌国際短編映画祭）では国際審査員に就任。<br />
卓越した技術を生かして活動の範囲を広げる大平さんに、インタークロス・クリエイティブセンターのチーフコーディネーター・久保俊哉がインタビューしました。</p>
<p><img height="324" width="499" alt="ohira00-4.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ohira00-4.jpg" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p><br />
<strong>－　最初に、コンサートマスターという仕事について教えていただけますか？</strong><br />
<br />
オーケストラのコンサートで、指揮者の左側、指揮者に一番近いところに座ってバイオリンを弾く人がコンサートマスターです。コンサートの始めにオーケストラのチューニングをリードしたり、本番では演奏が円滑に進むように指揮者とオーケストラのパイプ役も務めます。<br />
わかりやすいところでは、指揮者が入ってきたら偉そうに立ち上がって握手をするとか（笑）、そういう儀式的なことも担当します。<br />
<br />
<strong>－　札響のコンサートマスターになられてからどれくらいになりますか？</strong><br />
<br />
1998年からなので、今年で11年になります。<br />
今は若い人が入ってきて、コンサートマスターが3人体制になったので、少し自由な時間ができまして、前からやりたかったソロ活動や病院などの施設を訪問して演奏する活動もしています。<br />
<br />
<strong>－　やはり、バイオリンは幼少の頃に始められたのでしょうか？</strong><br />
&nbsp;<br />
生まれは仙台なのですが、4歳の時にお隣のお姉ちゃんがバイオリンを弾いているのを聞いて、庭に忍び込んで「私もやりたい」と云ったのがきっかけです。習い事のような感じではじめました。<br />
その後、父の仕事の関係で5歳から7歳までアメリカに住みましたが、その間もバイオリンは引き続きやっていました。<br />
当時はバレーボールがすごく流行っていて、背が高かったこともあって、一時期はすごくバレーボールに凝っていました。本気でオリンピックに出るつもりで、毎日、回転レシーブを練習しました。すごく上手だったんですよ。（笑）<br />
そのうちに、だんだんバイオリンが楽しくなってきて、たまたま父に連れられて東京でバイオリンの先生をしている方のところにお邪魔したら、「ちょっと弾いてごらん」と促されて、その時に「君は指が長い。その指を宝の持ち腐れにしないでくれ」と言われました。<br />
その先生に、「バイオリンを習いに通ってみないか？」と言っていただいて、本格的にバイオリンをやることになったのです。それが中学の時です。<br />
<br />
<strong>－　そうすると、仙台から東京までバイオリンのレッスンに通ったのですか？</strong><br />
<br />
月に１回、仙台から東京まで通いました。<br />
朝、「ひばり」という特急に乗って、4時間かけて東京の先生のお宅に行き、レッスンをして夜に仙台に戻るパターンでした。中学生が一人でバイオリン持って乗っていると、まわりの席の叔母様たちが声をかけてくれて、アイスクリームをごちそうになったりして、ちょっとした小旅行気分を味わえるのが楽しみでした。<br />
レッスンを続けるうちに、先生から音楽高校を受験してみないかといわれて、東京藝大附属の音楽高校を受けることにしました。まさか受かると思っていなかったので、受かってからが大変でした。両親もまさか娘が東京の高校に行くと思っていなかったので、両親は心配しましたけど、未知の世界を知ってみたいという思いが強かったですね。<br />
<br />
<strong>－　その時にはもう音楽家になろうと決めていたのでしょうか？</strong><br />
<br />
いいえ、まだ半信半疑でした。高校でもしっかりバレーボールをやっていましたから。(笑)<br />
高校3年の時の卒業演奏会で、バッハの「シャコンヌ」という曲を演奏したのですが、その時、それまで体験したことのない、何とも不思議な感覚を覚えたのです。<br />
この曲は無伴奏で弾くのですが、気持ちの高揚というか、客席と気の交流ができたというか、集中力をバイオリンに向けられるような、とても不思議な感覚を覚えたんですね。その時に「これだ！」と思って、そこで演奏家になろうと決めたのです。人生の中でそう何度も経験することのない、不思議な感覚でした。</p>
<p><img height="332" width="500" alt="ohira02-2.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ohira02-2.jpg" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p><br />
<strong>－　それから大学に進まれたのですね？</strong><br />
<br />
東京藝大に入ったのですが、入学後３ヶ月で<a href="http://www.sfcm.edu/">サンフランシスコ音楽院</a>に留学できる機会を得て、絶対に行きたいと思ったのです。<br />
父を説得するために仙台に戻った時のことを思い出しますね。<br />
父は、私が言い出したら聞かないのを知っていましたし、行き先が子どもの時に横浜港から船で着いたサンフランシスコの音楽院だったということもあって、「あそこなら」と許しが出ました。人生ってうまくいくものですね。<br />
父を説得して夜行で東京に戻る途中、車窓から見た日の出がとても素晴らしくて、それを見て、「私の人生これからよ！やっぱりアメリカに行かなくちゃ」と思いました。（笑）<br />
<br />
<strong>－　アメリカでの生活はいかがでしたか？</strong><br />
<br />
当時は70年代のヒッピー文化の真っ只中という感じで、みんな裸足で町を歩いていたり、とにかく開放的で、「やっぱりここだ！」と思えるところでした。素晴らしい時を過ごしたと思っています。<br />
また学校がとてもユニークで、「コミュニティサービス」という必須科目があって、これが本当に素晴らしい経験でした。学生が病院や刑務所などに出向いて演奏するのですが、ちゃんと耳を向けてもらえるような良い演奏をしないと注目してもらえません。演奏というのが一方通行ではないということを教わって、とても貴重な経験でした。ボランティア精神もここで学びましたし、１回3ドルの報酬をもらって、勉強しながら演奏する機会が得られたのです。<br />
<br />
<strong>－　アメリカではとても充実していたようですが、悩むことはなかったですか？</strong><br />
<br />
音楽院を卒業してから演奏活動を始め、ソロ活動をしたり、人に教えたりしていましたが、<br />
20代で2回くらい壁にぶつかりましたね。<br />
何より辛かったのは、美術作品とかと違って、クラシックは演奏会が終わるともう音は消えてしまって後に残らないんですね。だから、演奏会の後は、たとえ演奏がうまくいっても虚しさを感じました。作品が残る人たちはいいけど、音は残らない。これが辛くて、もうやめようかなと思ったこともありました。<br />
<br />
<strong>－　でも、演奏会の後の余韻というのはとても素晴らしいものですし、昨年はCDを<br />
&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 2枚もリリースされて、しっかり「残っている」と思います。（笑）</strong><br />
<br />
ありがとうございます。（笑）<br />
私の母方の実家がお寺で、祖父はお坊さんだったのですが、アメリカでも仏教のことに興味を持っている人がいて、仏教について色々質問されるわけです。仏教では、すべてのものは消えていくから良いという教えがあって、それで、あまり物事に執着することもないと思えるようになりました。<br />
それと、悩んでいると、なぜか私が音楽家になろうと決意した時に弾いたバッハのシャコンヌを弾く機会に恵まれるのです。因縁というか、私にとって何か意味のある曲なのだろうと思います。<br />
今度、シャコンヌっていうショートフィルムを作ろうかしら。（笑）</p>
<p><img height="332" width="498" alt="ohira03-2.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/ohira03-2.jpg" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p><br />
<strong>－　札幌にはどういう経緯で来られることになったのですか？</strong><br />
<br />
アメリカから日本に戻って、東京で暮らした後、札幌交響楽団にゲストで呼んでいただいたのがきっかけです。<br />
東京時代は<a href="http://www.tokyosymphony.com/">東京交響楽団</a>で演奏して、その後もバレリーナの森下洋子さんのバレエにあわせてソロを弾かせてもらう機会をいただいたり、<a href="http://yomikyo.or.jp/">読売日本交響楽団</a>にゲストで呼んでいただいたり、とても良い経験をさせてもらいました。<br />
札幌に来た時は、空港から札幌までの風景がアメリカ中西部のシカゴのあたりを思い出させてくれて、すっかり北海道が好きになりました。<br />
北海道は、精神も歴史もアメリカに似たところがあると思います。日本中から色々な人が集まっていて、新しいことが起こりやすいのではないかと感じました。<br />
今はずっと北海道にいたいと思っています。<br />
音楽にはとても大きなパワーがあります。それをどのように開発していくか、色々チャレンジしてみたいですね。<br />
今思いついたのですが、牛や羊にモーツァルトを聴かせたり、ブドウとかイチゴにクラシックを聴かせて栽培している人もいるくらいですから、私も牛の前でバイオリンを弾いてみたいな。（笑）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><object height="216" width="384" type="application/x-shockwave-flash" data="http://flv-player.net/medias/player_flv_maxi.swf"><br />
<param name="movie" value="http://flv-player.net/medias/player_flv_maxi.swf" /><br />
<param name="allowFullScreen" value="true" /><br />
<param name="FlashVars" value="flv=http%3A//www.s-xing.jp/video_files/ohira.flv&amp;width=384&amp;height=216&amp;showfullscreen=1" /></object></p>
<p>&nbsp;</p>
<center>全2ページ　　[1]　<a href="http://www.icc-jp.com/special/next_page/ohira/02.html">[2]</a>　　　<a href="http://www.icc-jp.com/special/next_page/ohira/02.html">[次のページ]</a></center>]]>
        
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    <title>新春特別対談　書道家　樋口 雅山房氏</title>
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    <published>2008-12-31T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-01-12T16:37:22Z</updated>

    <summary>力強く、人間の「生」を感じさせる作風で見る人を魅了する現代書家・樋口雅山房氏。そ...</summary>
    <author>
        <name>ICCスタッフ</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.icc-jp.com/special/">
        <![CDATA[<p>力強く、人間の「生」を感じさせる作風で見る人を魅了する現代書家・樋口雅山房氏。そ<span style="font-size: 100%">の生い立ちから、書家への道、そして今なお衰えない創作活動への情熱まで、新年の幕開けにふさわしい、エネルギッシュなインタビューをお届けする。</span></p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline"><img class="mt-image-none" height="320" alt="g0.jpg" width="480" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/g0.jpg" /></span><p><span style="font-size: 100%">聞き手：久保俊哉（ICC　チーフコーディネーター）</span></p><p>----------------------------------------------------------------------</p><p>－　まず、先生の生い立ちからお聞かせいただけますか？</p><p>生まれは昭和16年（1941年）です。実家は札幌のちょうど真ん中、現在の札幌市民ギャラリーと創成川の間くらいのところで薬屋を営んでいました。私はそこの末っ子として生まれ、18才まではその辺が縄張りでした。</p><p>－　書に出会ったのはいつ頃ですか？</p><p>「書に出会った」という自覚は薄いのですが（笑）、父が筆で看板を書いていて、そういった筆字が好きだったんでしょうね。<br />昭和23年に、東小学校（現在の中央小学校）に入学したのですが、そこの先生がちょうど一年後くらいに近所の宗教の教会で書を教え始めたのです。そこで小学校一年の時、放課後に希望者を集められて、黄版紙という質の悪い紙に『芋』という字を書きました。それが私が最初に書いた字です。</p><p>－　「芋」というのはまた札幌らしいですね。（笑）</p><p>当時は芋とかぼちゃで育ったものですから。（笑）<br />その先生の教会で10年間、日曜の朝8時くらいから10時くらいまで、習字をしに行っていました。戦後のどさくさの中、家にいると親からうるさいと言われるので、仕方なく兄弟にくっついて行っていました。当時は算盤や習字などが近所にたくさんありましたから、習字もたまたまその一つだったのです。</p><p>－　書き始めてから、「字が好きだ」という感覚になってずっと続けて来られたのですか？</p><p>当初は「好き」という自覚はなくて、それほど書が自分に向いているとも思いませんでしたね。ただ、小学校５、６年の時、習字の塾の中で「樋口は字が上手いんじゃないか」と言われるようになりました。<br />近所に丸井、三越、藤井大丸セントラルなどがあって、その頃、良く遊びに行っていたのですが、藤井大丸の2階では頻繁に絵画の展覧会などをやっていて、作品を見る機会がありました。当時は戦後ですから、みんなが働いていて、芸術的な雰囲気などない時代でしたが、その展覧会場に行くと、作品を前にして何か語り合っている大人がいたりして、世の中の喧騒とは別世界でした。<br />当時、絵画などは子供がやるものだと思っていましたから、とても不思議に感じたのですが、小学校５年の時の担任が絵の先生だったので、それで今度は近所のわんぱく連中でその先生に絵を習いに行きました。先生の絵が丸井で道展に入選したというので、みんなで見に行ったんです。ただ、僕たちの関心は、絵の出来栄えではなく、「その絵を描いた場所がどこか？」ということで、それをみんなで探すんです。「山鼻のここらしい」とか、「納骨堂の下らしい」とか（笑）。場所がわかったら、三脚を作って絵を描きに行くのですが、子どもですから15分もすれば絵を描き終わって、後は喧嘩が始まったり、絵を習うというよりも、遊びと混ざったものでした。</p><p><img class="mt-image-none" height="320" alt="g2.jpg" width="480" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/g2.jpg" /><br /><span style="font-size: 80%">現在67歳。重さ10キログラムもの筆をしなやかにふるう。</span></p><p>－　そこからどういった経緯で今にたどり着くことになったのでしょうか？</p><p>中学２年の頃、丸井で全道子供書道展というのがありまして、僕はそこで佳作になったので見に行ったわけですよ。そしたら、その壁の裏に、まるで雑巾で書いたような、今まで見たことのない子どもの書道の作品があったのです。それを見た時、頭を後ろから&ldquo;ガツン&rdquo;と殴られたような衝撃を受けました。指導内容が違うと、こうも作品が違うのかと。当時の私は書の大会で一位になったりして、確かに芽はあるのでしょうが、あんな大胆な作品を書くことはできなかった。度肝を抜かれたわけです。</p><p>－　先生にとって大きな岐路というかターニングポイントになった事件ですよね？</p><p>そうです。そうしたら、偶然にも、私が通う校区の高校にその新しいタイプの書道を教える指導者がいるということがわかったのです。それが加納守拙先生です。<br />私の１年先輩の女の子が通っている高校にいるということで、もうその学校しか受験しないと決めました。受験の時、試験が終わってから、校内にその先生の書いたものが何かあるはずだと思って校内を回ってみたのです。そうしたら、職員室とか、更衣室とか、白の紙に黒で書いた字があって、どの字にも何か気持ちが入っているんですね。何かを写して上手に書いたものではなく、どの一枚一枚にも想いがあって、それがはっきり分かるのです。</p><p>－　その後、その高校に入学して加納先生に習ったのですか？</p><p>はい。加納先生の授業はとても変わっていて、最初の書道の時間に、黒板に「森羅万象悉師」って書くわけですよ。高校１年生に読めるわけがないのですが、「これが分かった人は帰ってよろしい」って言うわけです。（笑）。<br />みんな帰りたいから、わかってもわからなくても、わかりましたたって顔をするんですが、そうすると、先生が説明するわけです。「そこにある山だとか川だとか草だとか、それがみんなお前たちの先生だ」と。誰かが書いたものが手本なのではなく、自然が、あらゆるものが先生だと。「このことがわかったら帰ってよろしい」と先生が言ったら、その瞬間にみんなダダダダダって帰っていきましたよ。（笑）</p><p>－　そういう中で、先生にとって書はどういう存在だったのですか？</p><p>結局、今思うと、上手い字を書こうというよりも、書くこと、集中して筆にのって書くということが好きだったのかも知れない。自分でもよくわからないです。上手な子は他にもたくさんいましたから。</p><p>－　その時は、何か自分で表現をしているという感覚はあったのでしょうか？</p><p>表現ということでは、むしろ、絵や漫画のほうにそれを感じていて、書はあまり表現の世界だとは思いませんでしたね。</p><p>－　そこから今の先生の形というか、書道家としての自覚というのはどこからでてきたのでしょうか？</p><p>やはり18歳で墨人会に入ってからです。<br />戦前、本州で書道芸術社という、新しい書道の母体となる組織ができて、その北海道支部を私が高校でご指導いただいた加納先生が担当されていたのです。書道芸術社の活動は本州で前衛運動として花開いてくるわけですが、加納先生は、どちらかというとそれを教育の方に活かしていったのです。<br />当時の絵は、みんな名手の絵を写していたのですが、ある時代から、写生して新しいものを生み出すという動きが起きてきました。<br />加納先生は、「書はまったく模写だが、しかし、写生するといった考えで書を教育できないものか」と考え、書道芸術の勉強をされ、昭和７、８年頃に、「童書運動」を起こされました。情操教育、美術教育的な要素を入れた書道教育の体系を新しく作った人と言えますね。それで結局、戦後にそういう流れを作っていって、本州に墨人会ができ、その墨人会が偶然にも私が高校３年の時、北海道にやってきたんです。昭和27年くらいのことですね。<br />実はその前の年の修学旅行の時、私は加納先生から紹介状をもらって、墨人会のリーダーの森田子龍先生を訪ねているんです。夜に宿を抜け出して。（笑</p><p>－　では墨人会の存在には以前から注目していたのですか？</p><p>そうです。大丸で展覧会を見ていたのです。それが正方形の本でね。書道の本はみんな右から左へ開くのが、左から開くようになっていて驚きました。本からして美術志向でした。<br />森田子龍先生が墨人会のリーダーで、さらに月刊で「墨美」というグラビアの本を作っていたのですが、まず「墨美」という題字がとても美しく、そして、その第一号の表紙にはアメリカのアクションペインティングの画家が描いた書のような作品を載せていました。<br />書道の本なのに、アクションペイントの画家の作品を表紙に使って、書道界や美術界に大きな衝撃を与えました。美術界でさえ、まだその人の作品を取り上げていなかったのですから。&nbsp;</p><p><img class="mt-image-none" height="320" alt="g3.jpg" width="480" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/g3.jpg" /><br /><span style="font-size: 80%">雅山房氏がプロデユースに関わった蕎麦屋「蕎<span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ ゴシック'">傳」にて。</span></span></p><p><span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ ゴシック'">－　先生のバックグラウンドは何度かお伺いしていたのですが、さらに良くわかりました。その後先生は、松岡正剛さん、山本寛斎さん、宇崎竜童さんなどとも交流されていきましたね？</span></p><p><span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ ゴシック'">当時はもう40才になっていました。家族をもち、生活というのが非常にのしかかってきて、若い頃のように、一途に他の事を考えないで書一筋でいくという、30才くらいまでの時代とは状況が変わっていました。生活者というか、そういうところで、書そのものの方向も非常に混沌としてきていました。</span></p><p><span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ ゴシック'">－　書の世界がですか？</span></p><p><span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ ゴシック'">書の世界もですが、だいたい1970年（昭和45年）くらいに世の中が変わったと思います。僕は1960年（昭和35年）くらいに上京しましたから、10年目くらいで一つ時代が変わっていったんですね。<br />墨人会を作った人たちは、もう40代、50代を迎えて、ほとんど世界の近代美術館などに作品が納められて、理論と製作とが完成の域に達していたのです。<br />墨人会はお弟子も持たず、まったく作品づくりだけで勉強するというグループで、僕たちはそういう人たちの最後のほうにくっついていったので、先人たちが完成の域に入る一方で、僕なんかはこれからだと思っていたのですが、家族をもち、職場もどうしたらいいかとか思って悩んだ時期でした。<br />書というものに、30歳くらいで一度燃え尽きたところがあって、次のところの方向を模索して、30歳から40歳くらいまでの間は、非常に自分でも公私にわたって転換期でしたね。作品も展開しませんし、さまよう時期になりました。</span></p><p><span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ ゴシック'">－　その時に、松岡正剛さんたちとお知り合いになられたのですか？</span></p><p><span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ ゴシック'">はい。それがやはり10年くらい経って、墨人会のリーダーだった森田子龍先が「クラッシックに帰るべきだ」と言い始めたのです。&ldquo;古法&rdquo;という言葉があるのですが、豊かな時代になって、形は新しいものが全部出尽したのですが、どうも質をどこかに忘れているようで、形だけの繁栄になっていた感がありました。書にもそういうものを感じたんですね。それで、僕なんかも自分の先行きというものが壁にぶつかった感じがあって、それでもう一度元に戻るというか、そういう動きがでてきました。<br />当時、偶然にも加納先生が東京で道場を開いたので、僕もそれで手伝ったのです。加納先生という人は、細かく色々指示する人ではないですから、僕が悩んでいることを薄々感じていたのでしょうけれど、結局、37歳か38歳の頃、&ldquo;古法&rdquo;、つまり古典的なものをもう一回自分なりに見直して出直そうと思ったのです。<br />そうして出直そうと思って、生活のために病院に勤めた時、そこの病院の患者さんとして来ていたのが松岡正剛さんでした</span><span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ ゴシック'">。</span></p><p><img class="mt-image-none" height="320" alt="g4.jpg" width="480" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/g4.jpg" /></p><p><img class="mt-image-none" height="360" alt="g5.jpg" width="480" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/g5.jpg" /><br /><span style="font-size: 80%">暖簾、看板などのアイテムも雅山房氏の作品だ。</span></p><p>－　その時は、勤めをしながら書を書いておられたのですか？</p><p>ええ、もちろんです。<br />薬剤師として病院に入って、健康食品の会社もやっていましたので、僕はどちらかというと同じフロアでそちらの方をやっていました。その病院のドクターが、偶然にも加納先生のお父さんと大の仲良しで、60年、70年も付き合っていたんですね。そうした関係もあって僕がその病院に勤めることになったのです。<br />ある日、ドクターが「樋口君、樋口君。松岡さんという人が云々」と言って、それで親しくなったのです。</p><p>－　それで松岡さんの本の鋲を？</p><p>知り合ってから１年くらいして、松岡さんの「遊」という本に参加させてもらいました。<br />テーマの扉が何ページかあって、そこに「筆のデザインでやってくれ」という依頼があったのです。<br />しかし、彼は京都の人で、京都というところは美術の状況に詳しい土地なわけです。美術の話題が日常の会話の中にも出てくるようなところで、それほど文化というものが生活の中に入っているのです。当然、墨人会が前衛書道として京都で旗揚げしたということはみんな知っているし、ましてや松岡さんのような人は、墨人会が美術の世界の中でどういう位置にあったかということを良く知っていたはずです。墨人会というものが、弟子も持たず、自立した書家として行こうという青年の書道のグループだったということを知っていたんですね。そのことで私に興味を持ったのだと思います。ですから、私のことを良く知らないはずなのに、墨人会をどこかで信頼して、いきなり「１ページ書いてください」と依頼したのだと思います。</p><p>－　すごいですね。</p><p>すごいですよ。<br />ある時、その件で出版社に打ち合わせに行ったら、舞踏家の田中泯さんがいました。そこで、私が表紙の題字用に&rdquo;舞&rdquo;という字を書いたわけです。それは象形文字で書いたのですが、それを見て、「あ、樋口さんですか。僕は「舞」という字がとても好きです。良い字ですね」と言ってくれたのです。田中泯といったら、当時は飛ぶ鳥を落とす実力者でした。</p><p>－　今でもすごいです。我々の仲間も田中泯さんのファンがたくさんいます。</p><p>いるでしょうね。当時は中野に地下室を借りて、彼らが毎日何か公演をしていました。<br />その頃、書道界の前衛で有名だった井上有一先生のところに、田中泯さんが「パフォーマンスをしてほしい」と依頼に来ていました。井上先生は、「俺はもう歳だから、お前たちと一緒にやるのであれば引き受けよう」と言って、そこで一日、順番に大きな字を書いたことがありました。</p><p>&nbsp;<img class="mt-image-none" height="640" alt="g6.jpg" width="480" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/g6.jpg" /><br /><span style="font-size: 80%">新しい年へ筆をとる雅山房氏。</span></p><p>－　先生の経歴は何度もお伺いしているのですが、聞くたびに新しい発見があります。さて2009年という新しい年は、先生にとってどんな年になりそうですか？</p><p>３月24日から一週間、銀座8丁目の「アートポイント」というギャラリーで、一休禅師の「狂雲集」という詩集をテーマにした作品を発表したいと思っています。<br />一休さんは自身に「狂雲師」という号をつけていまして、昨年、松岡正剛さんが、「やってみては？」と勧めてくれたのです。<br />今は経済的にも政治的にも混沌として、まるで「乱世」とでもいう状況になっていますよね。<br />一休さんの詩の中に、「歴史を振り返ると、その時々に、来るべき日本の乱世と縮図があった」ということが書かれているのです。そうした理由もあって、松岡さんは私に勧めてくれたのではないかと思います。<br />一休さん自身は、書も非常に優れていますが、むしろ言葉の方に、非常に時代を打つというか、人を打つものがあります。<br />一休さんは、日本が武家文化から庶民民文化へと変わっていく基礎を作るのに大きな力を発揮した人で、特に非常に重要な文化教育的なものを担っている人だと思います。<br />文化の根本を突いて多くの人を導いた一休さんの気概というか切れ味の良さを、僕らのように鈍い者たちが取り組むというのは非常におこがましいのですが。</p><p>－　書というものに対しては、伝統的で、お弟子さんを持って、模写と同じになる一つの形を伝えていくというイメージが強いのですが、言い方は乱暴かもしれませんが、先生には「書の革命者」とか、音楽でいうと、ロックとかパンクとか、体制側があるとすれば、ちょっと外れた新しいエリアの外側を常に作ってきたような印象があって、そこに魅力を感じるのですが。</p><p>北海道というところは、戦前戦後、非常に革新的な物の考え方が根付いたところだと思います。そういう土地に、とてもよい指導者がいて、しかも、手取り足取りの指導ではなく、大きな指導というか、大道を示す指導をされたわけです。僕の先生は、具体的な指導よりも、生きる根本といったようなことを常に言っておられました。<br />そういう中で期待されることが白紙に滲み込むというか、そういう時代の子であるというか、要は自己表現を達成できれば良いと思っていたわけで、それがたまたま私の場合は、造形の表現が「書」だったということでしょうね。</p><p>－　先生には遊び心がいつもあって、そういうところでは一休さんと似ているところがあるような気がします。</p><p>そうですね。なんかそういうお祭りとか遊びとかにも縁があるようです。先輩たちは非常にストイックな道を行きましたが、私は少し違う面があるかもしれません。</p><p>－　3月の銀座での展覧会の成功をお祈りしています。本日は長時間、ありがとうございました。</p><p><img class="mt-image-none" alt="gazanbo_work.jpg" width="480" src="http://www.icc-jp.com/features/assets/gazanbo_work.jpg" /><br /><span style="font-size: 80%">新年を表す書の完成。</span></p><p>----------------------------------------------------------------------</p><p>■樋口雅山房　</p><p>Webサイト「書」SHO ART &nbsp;<br /><span style="text-decoration: underline"><a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~gazanbou/">http://www.h7.dion.ne.jp/~gazanbou/</a></span></p><p>文・構成　佐藤栄一<span class="Apple-style-span" style="font-size: 12px; font-family: Arial">&nbsp;</span></p><!--StartFragment--><p><b>-メッセージ</b></p><object data="http://flv-player.net/medias/player_flv_maxi.swf" type="application/x-shockwave-flash" width="330" height="220"><br /><param value="http://flv-player.net/medias/player_flv_maxi.swf" name="movie" /><br /><param value="true" name="allowFullScreen" /><br /><param value="flv=http%3A//www.s-xing.jp/video_files/gasanbo.flv&amp;width=330&amp;height=220&amp;showfullscreen=1" name="FlashVars" /><br /></object><p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>クリスマス特別対談　サックス・プレーヤー　田野城寿男氏</title>
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    <published>2008-12-24T09:16:36Z</published>
    <updated>2009-01-10T01:46:58Z</updated>

    <summary> 札幌を拠点に、魂（ソウル）を表現する魅力的な演奏で聴衆を魅了するサックス・プレ...</summary>
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        <name>ICCスタッフ</name>
        
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="500" alt="tanoshiro00.jpg" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/tanoshiro00.jpg" class="mt-image-none" style="" /></span> <p>札幌を拠点に、魂（ソウル）を表現する魅力的な演奏で聴衆を魅了するサックス・プレーヤー　田野城寿男氏。<br /> 「誰にも似ていない」と賞賛される高い技術を持ちながら、絶えずチャレンジを続け、今年9月の「第３回札幌国際短編映画祭」では国際審査員も務めた。<br /> 12月12日夜には自身が「クリスマスプレゼント」と称するLiveを行い、観客を陶酔の世界へと導いた田野城氏にインタビューを試みた。<br /> <br /> 聞き手：久保俊哉（ICC　チーフコーディネーター）</p> <p>&nbsp;</p> <p><img width="500" alt="tanoshiro02.JPG" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/tanoshiro02.JPG" class="mt-image-none" style="" /><br /> <span style="font-size: 90%;">Liveから一夜明けてインタビューを受ける田野城さん</span></p> <p><br /> <br /> ―昨夜は素晴らしいライブでした。<br /> <br /> 昨日のコンサートは、北海道で12年間も活動させてもらったことへのお礼を兼ねた私からの「クリスマスプレゼント」です。どんなプレゼントがいいかなぁ、と思ったのですが、僕は音楽家なので、やはり極上の音楽を楽しんでもらおうと。<br /> <br /> ―あまりにも凄い演奏ですっかり魅了されましたが、何度もリハをやったのですか？<br /> <br /> それが、リハは1回しかしていません。（笑）<br /> メンバーの技術には絶対の信頼がありますから、１週間前に軽くやった程度です。昨日のライブの中でも、実は何度か間違えているのですが、間違ってもすぐにちゃんと戻ってくるんです。間違ったことをメンバーが楽しんじゃってるんですね。（笑）<br /> せっかくのプレゼントなんだから、キチキチに縛らないでリラックスしてやろうということにしました。<br /> <br /> ―リラックス感は十分に伝わっていたと思います。昨夜はロックな感じでしたね？<br /> <br /> そう。昨日のライブはどちらかというとロック系でした。札幌はオーソドックスなジャズが好まれる土地で、ドラムスとウッドベースが入るライブが多いですから、昨日のようなライブは札幌ではあまりお目にかかることのない音楽だったと思います。<br /> <br /> ―音楽をする立場からみて札幌という土地はどんなところですか？<br /> <br /> 札幌はヒップホップとクラブ系のパーティが多く、動員数も多いんです。ただ、年齢層が低い人たちはそれで良いのかもしれませんが、一方、大人の遊び場が少ない。<br /> 大人たちも含めて、音楽を聴く人の底辺を広げなくちゃならないと思います。<br /> だから、「こんな音楽もあったのか」とか、「これは何というジャンルの音楽なんだろう？」と感じる機会をたくさん作って提案してやる必要があると思っています。<br /> 僕はジャズ、クラシック、ロックといったジャンル分けにはあまり意味がないと考えています。とにかく、いろんな種類の音楽にふれてほしいという思いがあって、色々なジャンルを組み合わせて新しい音楽を提案したい。いま、地元のFM局と組んで、新しい音楽を作り出してリスナーを増やそうという動きもしています。</p> <p><img width="500" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/tanoshiro03.JPG" alt="tanoshiro03.JPG" /><br /> <span style="font-size: 90%;">20年前に作った曲も演奏されました　　楽譜は当時のオリジナル</span></p> <p>&nbsp;</p> <p><br /> －昨夜のライブはまさに田野城さんからの新しい音楽の提案だったわけですね？<br /> <br /> その通りです。「こういうメンバーと組むと、こんなこともできるんだぞ」というところを聴いてほしかった。良いライブには、演奏する側と聴く側、演奏するプレイヤー同士の&ldquo;エネルギー交換&rdquo;がうまくいくことが必要です。だから、どちらも「楽しめ！」と思ってやっています。（笑）<br /> さっき、「音楽を聴く人の底辺を広げなくちゃいけない」と言いましたけど、実は音楽をやる側もスペシャリスト同士がつながらないことが多いんですね。ロック、ジャズ、ファンク、シャンソンなど、それぞれのジャンルにはスペシャリストがいるのに、それが相互につながらない。誰かがつながなくてはいけないので、僕はそこをやっています。<br /> 「今はジャズを聴くけど、次はロックを聴くよ」というように、どんどん聴く音楽の幅を広げたい。ジャンルを壊して新しい音楽を作り、聴いてもらう機会を作りたいんです。</p> <p><img width="500" alt="tanoshiro04.JPG" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/tanoshiro04.JPG" class="mt-image-none" style="" /><br /> <span style="font-size: 90%;">バンドのメンバーと共に</span></p> <p><br /> <br /> －今年は短編映画祭の審査員を引き受けていただきましたが、それも「ジャンルを壊す」ということですか？<br /> <br /> その通りです。ハリウッド映画しか観ないということでいいんだろうか？と思います。色々な作品を観る機会を作って、観客の底辺を広げたい。音楽も映画も同じです。<br /> 映画の審査員とは未知の世界でしたが、やらせていただいて得るものが大きかったですね。音楽だけじゃなく、色んなジャンルのものを提供して、全部を楽しんでもらうような仕掛けが必要なんだと再認識しました。<br /> <br /> －仕掛けということでは、いまどんなことを仕掛けているのですか？<br /> <br /> 昨年、北海道十勝の士幌で、農家の人たちが集まって「アート・ファーマーズ・バンド」を結成しました。農家の人たちが農閑期にジャズやフュージョンの演奏を楽しむというもので、この活動を手伝っているのですが、これがすごく面白い。音楽をツールにして、一緒に演奏する中で、エコや農業などについてを話したり、考える機会にもなっています。これは僕のライフワークだと思ってやっています。<br /> 実は、今日もこれから芽室町に行くのですが、芽室のファーマーズバンドが中学生とジョイントするのです。<br /> こうした活動を続けていたら、なぜか総務省の外郭団体の人が評価してくれて、「８つの学校でそれと同じ活動をやってほしい」とオファーがありました。僕のWebサイトを見て「面白い」と思ってくれたようで、「田野城さん、音楽と環境のことをやっているでしょう？」と言うんですね。すごく良い活動だからぜひやってくれと言うわけです。さらに、名古屋でも、「田野城さんとセッションしたい人募集します」（笑）とやったようで、来年の2月にセッションをやる予定です。<br /> <br /> －「音楽をツールにして」という部分に共感します。<br /> <br /> まさに、音楽は「ツール」に出来ると思うのです。<br /> こうしたオファーを受けて出ていくことによって、北海道の現状もわかってもらえるし、農業や環境の問題の理解にもつながると思います。<br /> ひょっとしたら、クリエイターが今しなくてはならないことは、こういうことなのかも知れないと思います。お金にはなりませんが。（笑）<br /> もちろん、Show-Bizは必要です。食っていかなくてはならないですから。<br /> しかし、アーチストや音楽業界が、単に音楽を売っているだけで本当に良いのかなと思います。<br /> バッシングされるかもしれないけど、金がなくても歌を歌って「幸せだなぁ」と思うとか、絵を描いて気持ちが穏やかになるとか、そういうことってとても大事だと思うんです。今、これだけ不況で大変な時期に、そういうことがないと耐えられないじゃないですか。<br /> 価値観を変えるべき時期に来ているんじゃないかと思うんです。そのためには、まず自分自身が来るものを拒まず、どんどん外に出ていかなくちゃいけません。「できない。難しい」と言っていたら、何も変えられません。そうやって価値観を変えていく仕掛けを作る上で、アーチストの役割は大きいと思いますね。</p> <p><img width="500" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/tanoshiro08.JPG" alt="tanoshiro08.JPG" /><br /> <span style="font-size: 90%;">様々な（仕掛け）を進める田野城さんが幸せを感じる瞬間</span></p> <p><br /> <br /> －しかし、それにはとても勇気が必要なのでは？<br /> <br /> たしかに、今までやったことのないジャンルに入っていくのは勇気がいります。<br /> 僕にも先日、「ブルースのレコーディングに参加しないか？」というオファーがありました。これには参りましたね。僕の音楽を聴いていたら、絶対にブルースなんて合うはずがないんです。（笑）<br /> そこで、１秒間くらい熟慮して（笑）、「YES」と答えました。たったの１秒間がまるで10年間に相当するくらい長く思えるほど、僕の中では悩んだんです。失敗する確率は99%くらいかもしれないけれど、それでも自分がかかわることで、今までにないカップリングができて、誰も想像しなかった全く新しいジャンルの音楽ができるかもしれないという期待感があります。だから、１秒間の熟慮の末に即答したのです。（笑）<br /> <br /> －そういう新しいジャンルに入っていく場合、自分の立ち位置というか、スタイルはどうあるべきなのでしょう？<br /> <br /> これは若いクリエイターにも言いたいことなのですが、自分のスタイルは変えてはいけません。背景がどう変わろうと、自分のスタイルは貫くべきです。自分が赤なら、背景が白でも赤を貫くべき。朱に変わってしまったのでは新しいモノは生まれないのです。ロックのシンガーに「ジャズのスタンダードを歌え」と言ったら、ロックシンガーはイヤがりますが、ロックのまま歌わなくちゃいけない。当然、ミスマッチが起きて、周りも「合わない」というかもしれないけど、そこでジャズシンガーになってしまったのでは、何にも新しいものは生まれません。その「ミスマッチを受け入れる勇気があるか？」が問われるわけです。<br /> 若いクリエイターやアーチストには、ぜひともその勇気を持ってほしいですね。</p> <p><img width="500" style="" class="mt-image-none" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/tanoshiro05.JPG" alt="tanoshiro05.JPG" /><br /> <span style="font-size: 90%;">見る人を奮起させるような熱のこもった演奏</span></p> <p><br /> <br /> －とても元気の出てくるお話しです。最後に、札幌そして北海道には、これからどんな土地になってほしいですか？<br /> <br /> ミュージシャンがここで食っていける土台を作るべきですね。残念ながらShow-Bizは東京にかなわない。札幌は人口190万人ですが、この規模でちゃんと食べていけるようにならないといけない。そのためには、底辺を広げなくてはと思います。だから、これからも新しいジャンルの音楽や今までにないタイプの音楽を作り、見せていこうと思っています。</p> <p><img width="500" alt="tanoshiro06.JPG" src="http://www.icc-jp.com/special/assets/tanoshiro06.JPG" class="mt-image-none" style="" /><br /> <span style="font-size: 90%;">Liveを訪れたお客さんに挨拶をする田野城さん</span></p> <p><br /> <br /> －本日はお疲れのところありがとうございました。<br /> <br /> 文・構成：佐藤栄一</p>]]>
        
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